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きのこと通奏低音

スイスの秋はキノコの季節だ。森にたくさんのキノコが生える。森に一歩足を踏み入れる。はじめキノコは見えない。目を凝らしていると少しずつ見えてくる。一つひとつ見つけていくうちに、森じゅうにキノコがいることに気づかされる。図鑑を手に確実に食べられそうなものだけ採り、家に帰って調理する。ソテーにしたり、ポタージュスープにしたり、炒めものなどにして食べる。とても美味しい。

キノコは不思議な生き物だ。姿は見えなくてもその菌糸は森の地面全体に張りめぐらされており、ある条件が揃うと「キノコ」としてぽこっと地上に姿を現すらしい。そう考えると、私たちが「森に入る」ということは、「きのこの中に入る」あるいは「きのこの上に立つ」ことでもある、と言えるかもしれない。

いま、スイス在住でストラスブール音楽院・フランクフルト音楽大学で教鞭をとられたリュート奏者今村泰典先生に通奏低音を習っている。通奏低音とは主にバロック時代、メロディとバス音(と数字)のみが書かれている楽譜から伴奏者が自分で相応しい和声を見つけだし、それらの音を繋げて独自の伴奏を作り出し実際に演奏していく(リアリゼーション)手法で、メロディを美しく豊かに支えるために不可欠な技術である。私は以前今村先生がカウンターテナーのMaarten Engeltjes氏を伴奏されているCDを聴き、その中にあったパーセルの伴奏に「薔薇」や「蛇」を連想するモチーフが織り込まれていることに感動し、この技術を学びたい、と強く思った。ちょうどこの11月歌とギターでパーセルを演奏するので、そのリアリゼーションについて先生にご指導頂くことにした。PCで楽譜を書き、そのデータをメールで送ってチェックして頂くやりとりが続くので、冗談まじりに「通奏低音の通信教育」と呼んでいる。

まず3段の譜を作る。一番上にト音記号で旋律を書き、一番下にはヘ音記号でもともと楽譜に書かれてあるバスラインを書き、その間にハ音記号でリアリゼーションを書き込んでいく。「ギターの実音にはハ音記号が適切ですからリアリゼーションはハ音記号で書いて下さいね」と言われた時、「マジですか汗」と思ったが、不思議なものでこれは書いていくうちにだんだん慣れる。

はじめ低音に書かれた「数字」を読むのが面倒で、「コードネームだったらわかるのに」と思った。なので先生に内緒で楽譜にコードネームを書き込んでみた。確かにハーモニーはすぐにわかったのだが、書かれたコードネームはオンコードのオンパレードになり、ごちゃごちゃして明らかに読みづらかった。しばらく眺めて、「・・・やっぱり数字でいこう」と思い直した。

通奏低音の基本はバス音の上に適切な和音をのせていくことから始まる。一番低い音から和音が生えてくるというのは、なんだかキノコみたいで面白い。そこからメロディのじゃまをせず素敵だと思った音を繋いで対旋律を作っていく。ただ難しいのは、正しい和音の音であっても前後との関係によって禁止される進行があることだ。

先生に、「こんなの見つけました!」と提示する。するとあっさり「あ、それ禁則ね」と言われる。「なんでこれが禁則なんだ?」と思うのだが、でも確かに実際に弾いてみるとどこか違和感があることに気がつく。なんというか、「綺麗でない」のだ。「禁則」と書くと縛られている感があるが、それをやるとあんまり綺麗じゃないですよ、という、長年にわたる伴奏者達の経験から生まれたアドバイスなのだろうな、と思った。キノコだって、なんでも食べられるわけではない。

たくさんの禁則にぶつかりながら、ふと、先生は一体どのようにしてリアリゼーションを作られていくのだろう、と思った。先日ご自宅におじゃましたとき、先生はしばらく楽譜を眺められた後「・・・こんな考え方もありますよ」とパソコンでカタカタと音符を書いていかれた。1小節ごと、1音入れるごとにふっと立ち止まって前後の音との流れをみる。その様子は、変なたとえだが私にはキノコ採りのように思えた。森の中に入って、一歩ずつ足を地面につけるたびに周りを見る。次の一歩を進むと、それまで見えていた角度が変わる。同じ風景が違ったものになる。ゆっくりあたりを見まわして、また一歩進めてみる。ずっとそこにいたのにさっきまで見つけられなかったキノコが、そこに立っていたことに気がついてびっくりする。もう一度後戻りしてみる。焦ってただ直進していたときには見えないものが見えてきて、どの可能性を取るかじっくりと考えて進路を改めていく。先生の作業を拝見して、私はそんなイメージを持った。そしてこの作業をごく自然に、流れるようにやってのけてしまう今村先生に深く感動した。

通奏低音は永遠に終わりのない森のようにも感じるが、なんだか楽しい。こんなこと書いたら先生は「全然違いますよ」とお笑いになるかもしれない。あくまで、今の自分の段階ではそう感じられるのだと思う。ずいぶんと深い森に入ってしまった気がするが、もう少し、この素敵な森をさまよってみたいと思った。