BLOG


La Guitarra Callada(静寂のギター)

おとといステファノ・グロンドーナ氏に会った。ブルクドルフというスイスの街で朝の10時半からコンサートがあり、早起きして行った。十数年ぶりに氏の演奏を聴いて感じたことは、彼の演奏が素敵なのはその特殊な爪の形がどうというよりも、一つひとつの音の響きが自分に帰ってくるのを待っていられる人だからなんじゃないかな、ということだった。たとえそこが教会のようには響かない会場であっても、それが「響く」ことをきちんと解っていて、それが自分に返ってきたときのバランスに合わせて次の音を出す。だからとても自然で、聴いていて気持ち良い。素晴らしい演奏だった。プログラムにはフロベルガー、スカルラッティ、グラナドス、そして武満徹の「すべては薄明のなかで」が入っていた。

武満の演奏が終わった時、一番前に座っていたおばあさんが隣のおばあさんに「へんてこな曲ね」と言った。決して意地悪で言ったのではなく、彼女は素直に自分の感想をとなりにいるお友達に伝えたかったのだと思う。だからないしょ話のようにできるだけ小さな声で喋ろうとしたのだけれど、息のたくさん入ったその声は会場中に聞こえてしまった。一瞬どきんとした。会場内で日本人は私一人だったこともあるのかもしれないが、とても好きな曲だったので、胸がぎゅっとするのを感じた。すると、私のとなりにいたオランダ人ギタリストがこれまた会場中にきこえる大きな声で「いや、タケミツは素晴らしいよ!」と言った。そして、起こったのはそれだけだった。私には、パンチパーマで大きな体の彼が普段より大きく感じたとともに、ああ、ここは違う意見を持った人が共存できるところなんだな、と思った。なんだか、すごく印象的だった。外から聞こえる鳥のさえずりとギターの音色が気持ちよかった。曲と曲の間で、グロンドーナ氏はにっこりと笑っていた。

終演後あいさつに行くと、氏は「I remember you!」と言った。すごい記憶力だな、と思うとともに、素直に嬉しかった。

翌日購入したCDをイヤホンで聴いた。“La Guitarra Callada(静寂のギター)“というタイトルで、中の文章も素敵だった。私はモンポウの「プレリュードVI」が一番好きだと思った。CDの、一人で何度でも聴ける贅沢と、空間全体がつくる一度かぎりの生演奏。どちらも素敵だと思った。そして、ほどよく皺の入った氏の写真を眺めながら、歳をとるってそんなに悪いことじゃないな、と思った。

十数年ぶりに会うことのできた氏と、その氏を通して会えた人たち。心から感謝したい。