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ふつうの少年

今月ウクライナから来た14歳の少年にギターを教えることになった。

音楽学校から連絡があった時、正直どんな子か全くイメージできない自分がいた。ただ、ウクライナからスイスに逃れる際に「彼はギターを持ってきたんだ」ということが、頭の中をぐるぐると駆け巡った。そして実際に会った本人はほんとうに、私が全く想像できなかったタイプの少年だった。

14歳の少年は、私よりはるかに長身で、私は一瞬韓流スターを思い出した。お洒落な子だな、と思っていると、静かな落ち着いた口調で「英語でレッスンをしてほしい」と言い、「自分はウクライナで習っていたギターの先生に才能があると言われました。」と言った。そして取り出したギターはクラシックではなく、鉄弦の黒いアコースティックギターだった。それなりに考えて用意していたものが全部ふっとんだ気がした。それでも自分が演奏できるヒッティングやスラップを含んだ曲を弾くと、目をキラキラさせて「すごい!どうやったらそんなふうに弾けるの!」と訊いてきた。やっぱりこの子は14歳なんだな、と思った。そしてこのごくふつうの少年の人生が、本人と直接は関わりがなかったであろうものに大きくふりまわされてしまったのだという事実に愕然とした。

一応これまで弾いてきたものを本人に弾かせてみると、まだとても初心者だったが確かに右手の動きは良かった。そこで「私がここで教えるのはクラシックギターで、あなたが習ってきたものとは違うかもしれない。でももしあなたに才能があるなら私は基礎を教えることはできる。それはあなたの将来にとって無駄にはならないと思う。」と伝えた。すると彼は「はい、僕はそういうのを習いたいです。」と言った。それを聞いて、私はこの子に期間限定でクラシックギターの奏法を教えていくんだ、と決心した。私の役割は彼にとってあくまでも期間限定でなければならない。そして彼に才能があると言ったウクライナのギター教師は、彼が祖国に帰るまで、絶対に生きていなければいけない。

 

メリーゴーランドを回すひと

スイスに来て人が手で回すメリーゴーランドがあることを知った。それは小さな子供用のメリーゴーランドで、小ぶりではあるものの天井から下がるレトロな棒にはそれなりに立派な馬やニワトリの形をした乗り物がついていて、中央には大きなハンドルのようなものがある。お客が来たらメリーゴーランド屋さんがそれを手で回すらしい。あれはどれだけ速く回るのかまだ見たことがないのだが、自分にとってかなり衝撃的なメリーゴーランドだった。

先日音楽学校が企画する「Instrumentenkarussell(楽器のメリーゴーランド)」という5歳から9歳までの子供を対象とした講座でギターを含む撥弦楽器について紹介した。土曜日の朝9回にわたり行われるこの講座では鍵盤楽器や擦弦楽器、木管楽器や打楽器などが毎回それぞれの講師によって紹介される。子供達は全ての楽器を実際に触って、最終的に自分がやりたい楽器を選んでいく。講座自体は毎年行われていて、今回は32名の子供達がそれぞれ10人程度のグループに分かれて参加していた。

参加する子供達のタイプは様々だ。数年前この講座に参加したのちクラシックギターを選んで私のクラスにきた女の子は両親のサポートも厚く、毎回きちんと取り組んで確実に成長している。

エレキベースでPrinceのLet’s Go Crazyのスラップフレーズを弾いて聴かせたら「オレ(←とあえて言わせてもらおう)、ベースにする。」と断言した男の子がいた。いつかカッコいいベーシストになって舞台に立ってくれ、と思った。

ルネサンスリュートを気に入った6歳の女の子もいた。私も彼女のお父さんもびっくりしたが、講座が終わった後彼女はおもむろにケースからリュートを大事そうに取り出し、にっこり笑った。それをみて、私はまだまだ固定観念にとらわれているのかもしれないな、と感じた。

さて、今回最後のグループにとても高い声を出してふざけてしまう男の子がいた。興味がないわけではないのだけれど、みんなの前でふざけはじめた手前、途中でやめることができなくなってしまっている感があった。そのうち「ぼくお家に帰る!」と言って部屋から出て行った。どうするかな、とみていたら5秒くらいしてから「ふでばこ忘れたから戻ってきた!」と帰ってきた。

良いアイデアを思いついた彼に、なんだか笑ってしまった。その彼は父親が迎えに来たとき、自分のお父さんの前で一生懸命エレキギターを弾いていた。とても長い間、真剣に父親に聴かせて説得しようとしている姿はまるで別人のようで、こちらも左手のコードを押さえていろんなハーモニーになるようにちょっと手伝ってあげた。タトゥーの入った腕を組み、小さな息子の前に立ってじっと聴いていた彼の父親は最後に「良い楽器だな。」と言った。それがどういう結論を意味するのかわからないけれど、もし彼にとってエレキギターが一生大事な楽器になるとしたらどんなに良いだろう、と思った。

メリーゴーランドはいつか止まる。いつか止まって、みんな降りる。それまでに1つに決めること、自分で選ぶこと。それぞれの子供の選択をはたから眺めながら、あのレトロなメリーゴーランドと、そのハンドルを回すメリーゴーランド屋さんを思い出した。

Jeki - Der Film日本語訳

*日渡インタビュー日本語訳(4'20"からと11'45")

確かにこれはただ音楽の話にすぎない、と言うこともできます。けれども「音楽」は言語・宗教・出身地に関わらず私達にダイレクトに伝わります。

私はこのプロジェクトを通して子供達にPerspect(見通し)も与えたいと考えています。自分の可能性、あなたは何かをできる子なんだよ、ということを伝えたいのです。レベルはまだ高くないことであっても、それまでできなかったことができるようになる経験をさせてあげたいし、実際彼らはできるんです。

子供の成長はとても速いです。でも(プロジェクトを通して)子供達が皆それぞれ何らかの自信をつけていくのを感じています。

生徒達がきらきらした眼になる時がとても素敵です。そういう時「ああ、これだ」と感じます。

私は音楽が好きです。そして子供達と作っていく音楽が好きなんです。



*同僚達・子供達の話(要約抜粋)

子供達が楽器を習うことに経済的な理由が問題になってはいけない


人はそれぞれ何かを表現する権利がある。それが実現すると外側からの強制ではないモチベーションが内側から生まれてくる

 

僕のこと誰かが一緒に助けてくれるのはいいことだと思う


一緒に弾くって一人で弾くのとは全然違うんだぜ


静かすぎたり規律に縛られてしまうとね、気持ちを表現することが難しくなるのよ


Jeki - Der Film 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AbC5rWPZWEM&t=5s


 

炎のおやつ(Flamme Znüni)

月に1回だけ、スイスの小学校に行っている。午前中の休み時間に出される「おやつ」を作りに行く作業があって、月に一回行けば良く、用事があれば休んでOKという気楽さから長男が1年生の時から参加して今年で5年目になる。「おやつ(Znüni)」と言っても手の込んだものではなく、野菜や果物を切ったもの、チーズやハム、スライスしたパンやクリームチーズを挟んだクラッカーなどが出される。ベルン市のGesundheitsdienstという健康局のようなところがオーガナイズしていて、息子達の小学校では「炎校舎(Flammehus)」という建物の前で行われていたので「Flamme Znüni(炎のおやつ)」と言われている。

校舎の前に並べたテーブルに赤と白のチェックのテーブルクロスをかけて、プレートに盛った「おやつ」を並べていく。チャイムが鳴ると子供達が校舎から一斉に出てきてわあわあと集まり、好きなものをとって食べていく。その光景はたくさんのスズメが集まってきた時に似ていて、結構圧巻である。そしてある程度時間がたつとプレートは空になり、子供達もそれぞれ好き勝手に校庭へ遊びに散っていく。準備に1時間、20分くらいで片付くこの光景が、私はなんだか好きだ。

この学校には自分のギターの生徒たちもいる。スイス人の生徒が私を見つけて「こんにちは」と言う。その子の友達が「あの人だれ?」と聞くと、ちょこっと得意げに「Sie ist meine Gitarrenlehrerin!(彼女は私のギターの先生なの!)」と少し大きめの声で答える。アジア人の生徒が私のところに寄ってきて「先生今週は何の曲を練習したらいいの?」と大きな声で質問してくる。レッスンで言ったじゃん、と思いながらも伝えると、何だか満足そうに去っていく。そしてよくわからないけれど、彼女達のためにも何となくきちんとしておこうとか思ったりする。

面白いもので、毎回いろんな子が「おやつ」を手にする時、一瞬こちらを見て「とっていい?」と言葉でなく「目」で訊く。どう見ても100%ガイジンな私とのコミュニケーションを考えた結果そうなるのかもしれないが、その目がとても真剣なのでこちらも「いいよ!(ついでにニンジンもとってきな!)」と目で合図してみる。とても原始的だけれど、そういうのもコミュニケーション手段として十分通じるんだよな、と改めて思ったりする。

「これは何の肉でできているの?」と聞く子に「これは鶏肉でできたハムで、豚肉は入っていないから大丈夫だよ」と伝えると、ホッとしたような顔をした後、嬉しそうにパンにのせて持っていく。子供でもいろんな条件の中で生活していることに改めて気づかされる。

たくさんの子が遊んでいるのを眺めながら、みんなほんとにバラバラだよな、と思った。そしてふと、ああ、顔が見えるのはいいな、と思った。たくさんの集団の中で、お互いの顔がきちんと見えなくなっていくと、たぶん私は相手を「かたまり」で考えてしまう。誰かについて思うとき、頭の中に最初に出てくるのがその人個人の顔でなくその人の帰属する「何かのかたまり」である状況は、ときに人の思考を危険な方向に仕向ける可能性を持っている。先日Flammeznüniを行ったその日は、ウクライナが空爆を受けた日だった。自分はやっぱりこの作業にいける時には行っておいた方がいいと思う。それはつまるところ、子供達のためというより、自分のためでもある気がした。

墨が乾くまで

今月「プロジェクト1027」第二弾企画として「White」という動画を作った。

「White」というタイトルからハーモニカ世界チャンピオンの大竹英二氏が作ったハ長調のメロディに、調性も拍割りもずらしたギターを入れた。はじめは前回作った「Summer Valentine」と同じように「しつけ糸方式」で録音しようとしていたのだが(詳しくは2020年8月ブログ「しつけ糸をたどって」をご覧下さい)、詩画家の本間ちひろちゃんの意見で今回はあえてテンポを指定せず大竹さんにメロディを自由に吹いてもらい、そこにギターで別のハコを作っていく方式「大竹弁当箱方式(本間ちひろ命名)」で録音していくことになった。大竹さんがよくFBに写真を投稿しているお弁当のように、その中身は容器が変わると詰め方が変わっていくことにインスピレーションを受けた。そして、はじめイントロに入れていたお洒落なコードもすべてカットし、木から雪がどさっと落ちる音や、森の中で黒い鳥が鳴く音などを入れた。なんというか、今回自分としては大竹さんが一人雪の野原を楽しそうに歩いているところに、「白ってそんなに優しいだけじゃないよね」と、吹雪や白の不安をギターで表現してみたいと思った。

さて、録音してから2ヶ月後、本間ちゃんが動画を作成・公開してくれた。彼女が和紙と墨で作ってくれた動画を見終わったとき、正直私には白ではなく黒のインパクトの方が強くて、なんだか笑ってしまった。私は特に、後半部分で和紙に垂らされる生々しい黒に惹かれた。そして、この原画を紹介したい方がいたので、スイスまで送ってもらうことにした。巻物のように作られた絵は青の色を付けた和紙に包まれていて、それがとても綺麗だった。

さて、いよいよその絵を持って他の方と一緒に見ることになった。テーブルの上でその方々と一緒に巻物を開いた時、あっ、と思った。どうして気がつかなかったのか不思議なのだが、最後の絵の墨は乾いて、映像のそれとは色が違っていた。オリジナルである原画には、私の好きだった墨の色はなくなっていた。それを見た時、ああ、あれはあの一瞬しか生命を持たない色だったんだ、と気がついた。そして、映像にしていなかったら彼女しか見れなかった色を、私は今回の動画で見せてもらっていたんだなぁと思った。それは私にとって今回一番衝撃的な事実だった。なぜなら、これまで私は色は音と違って「消えない」ものだと思っていたから。それを羨ましいとも思っていた。でも、そうじゃない色もあるんだということを知った。

墨が乾くまで、それはなんと音とちかい存在なのだろう。


「White」動画:

https://www.youtube.com/watch?v=hM6eckNAep4

ブログ写真の絵:本間ちひろ画

サイレントギター

来年、ヤマハのサイレントギターが20周年を迎えるそうだ(←ということを月刊誌『現代ギター』2022年1月号の告知で知った)。この楽器が発売された当時ヤマハミュージックメディアでアルバイトをしていた私は、開発担当のN木氏からボディのデザイン案を見せてもらったことがある。「どう思う?」と言われて渡された何種類ものデザインはとても斬新だったのだが、でも正直、ギターじゃないよな、というイメージを持った。そのことを伝えるとN木氏は「そうなんだよ!」と言われ、どんなに面白いデザインであっても弾き手が「ギターだ」と感じないデザインではダメなんだ、とおっしゃった。

私がデザイン画を見たのはその時だけで、その後何回どのような試行錯誤が行われたのかは知らない。しかし実際に発売されたサイレントギターを見たとき、私は「あ、ギターだ」と思った。骨組みのような輪郭は組み立て式で、弾き手から見えるサイド部分は色が濃く、そのラインは身体に絶妙にフィットする。具体的に何がどこにどうあるからギターだと感じたのか、自分でもよく分からないのだが、とにかくこれはギターだ、と思ったのを覚えている。

そもそもクラシックギターはヴァイオリンなどの楽器と比べたら音は小さい。だからわざわざサイレントである必要なんてあるのかな?と思ったりもしていたのだが、ある時サイレントギターの宣伝のためにタレントのヒロミ氏の深夜番組で演奏することになった。自分と同じくらいの年齢の女の子たちが何人かいて、そのうちの一人が深夜部屋で一人ギターを練習していたら隣の部屋の人に怒られた、という設定の映像が流れた。そうか、そういう需要もあるのかもしれない、と感じた。そしてなぜ自分がテレビの深夜番組で演奏する必要があったのかも理解できた気がした。

受け手にとって「ギター」とは何か、そこにはどういう需要があるのか。一つひとつの問いに答えを出してきたからこそ、20年も愛されることになったのだろう。

あれから20年経って私はいまスイスにいる。日本の生活が好きでガイコクなんか行ったら苦しくて息ができないわ、とか思っていた自分も(注:外国は宇宙ではない)それなりに暮らせるようになってきた。そして今月、私はひとつ新たなプロジェクトをベルンで立ち上げようとしている。まだ提案書の段階で、時間をかける必要があり、実際に行うのは2年後の夏になる予定だ。提案書を持って様々な方とお話していくなかで、ふと、このサイレントギターのことを思い出した。自分が本当にやりたいことは何か、それに対する需要はどこにあるのか、どのようなバランスであれば人々に本当に受け入れてもらえるのか。時間がかかっても一つひとつの問いに答えを出していかなければならない。それが黒い確固とした骨組みとなることを教えてくれたサイレントギター。20周年、おめでとうございます。

Warum nicht? (=why not?)

音楽学校分校の廊下から、聞き覚えのある音が聴こえてきた。あぁあれはアランフェス協奏曲の出だしの部分だ、と思っていたら、その音がどんどん近づいてきて私の教室に入ってきた。

今年正式に音楽学校に採用されたギターの先生であるスイス人青年が楽しそうに、子供用の小さなギターでアランフェスの出だしを弾きながら歩いてやってきたのだった。彼は昨年私が「ゴッティ」という世話人のような役目を担当した青年だ(詳しくは2020年10月ブログ「ゴッティ」をご覧下さい)。

粋なことするね、と思い、私もその後に続く一連のパッセージを弾いて応えた。レッスンに来てその場にいた10歳の女の子が「わぁ!これってなんの曲?」と訊いてきた。「楽しい曲だよね、これはオーケストラと一緒に演奏する曲で、ギタリストはみんな弾きたいと思う曲なんだよ」と説明すると、彼女は目をきらきらさせて「私もいつか弾ける?」と言った。思わず「Warum nicht? (=why not?) なんでできないことがある?」と答えていた。まだ単旋律や小さなコードしか習っていない子だけれど、もし彼女がこの曲を本気で好きになったら出来ないことなど何もない、という気がした。そしてこの曲が弾ける基礎を私は彼女につけてあげるんだぞ、と思った。

「Warum nicht(ヴァルム・ニヒト)?」というのは不思議な言葉だ。それを言っただけでその先に見えてくるものがなんだか変わってくる。それは人に対してだけでなく、システムに対しても言えることだと思う。

今月息子二人が音楽学校の子供バンドに入った。練習日は金曜の昼で、初日、フシギな時間帯にやるなぁと思いながら子供達が集まる場所に行くと、担当のクラリネットの先生が子供たち一人ひとりにお昼ご飯を配っていた。ヨーロッパ最大のポップスの祭典ユーロヴィジョンでも演奏し、東欧系でちょっとマッチョでコワモテなタイプ(つまり私が苦手なタイプ)の彼がこどもたちにごはんをスプーンでよそっている姿は私にとってかなり衝撃的だった。彼は息子達に「おう、お前の名前は何だ?(←という翻訳になってしまう自分がいる)」ときき、「さぁむこうで手を洗ってからこっちへ来い!」と言い渡した。私は彼らに任せることにしてその場を去ったが、息子たちはすごく楽しかったらしい。後日彼に会って、ご飯はスイスの大手スーパーと契約し彼自身がケータリングのように運んで用意していることを知り「凄いね!」と言ったら彼は「オレは好きでやっている。」と言った。同じ音楽学校で働きながら、こんなシステムがあったなんて知らなかったけれど、Warum nicht? そういうシステムがあったっていいじゃないか(いや、すごくいいよね!?)と思った。そしてこのシステムを実際に動かしている彼の姿に感動した。

ちなみに音楽学校ではギター科にもいくつか便利なシステムはある。例えば音楽学校に通う子供たちのほとんどは子供用ギターを購入するのではなく、街の楽器店からレンタルしている。月毎に支払うのだが、メリットとしては成長していくなかでギターの大きさが合わなくなっていくとき「今使っているギターはもう小さくなったね。今度楽器屋さんでひとつ大きいサイズと交換してもらってきてね」と気楽に言うことができ、結果子供達はいつも自分にあった大きさのギターを使うことができる。そして最終的に大人サイズのギターを購入する際、それまで子供用ギターを借りていた子には楽器店からの割引があるらしい。この国でギターを気軽に習う子供が多いのは、こういったシステムが用意されていることも要因の一つにあったりするのかな、とも思ったりした。あくまで私の憶測に過ぎないが、いずれにせよこのシステムだって、きっとはじめからあったのではなく、昔どこかの誰かがアイデアを出したのだろう。そしてたぶんその「誰か」の周りにいた人達もWarum nicht?と思い、このアイデアを実際に機能するシステムとして実現させていったから、現在まで当たり前のように続いているのだろう。ささやかなことだが、それってすごいことだよな、と思う。

Warum nicht? どうやらこの言葉はとてもポジティブな力を秘めている。

むちゃぶり

へんてこな動画が届いた。親友の詩画家ほんまちひろさんからで、「ナナー、こんなの作った。これになんか音つけられないかな?」というものだった。あのね、そういうのを世間では「むちゃぶり」というんですよ、と思ったが、映像を見て爆笑してしまった自分は、速攻「やろう」と返信した。

今月日本に帰って私は2年半ぶりに彼女と会った。1時間だけ時間があって、喫茶店でコーヒーゼリー食べながら今後の企画について話し合った内容は、今回の動画とは全然違うものだった。でも、実際に会って話したおかげで彼女が言わんとするところはなんとなくわかるような気がした。

今回の企画では、私はまだお会いしたことのない音楽家の方も参加されるそうだ。いつの間にそんな方とお友達になったんだよ?と思いつつも、その方のYouTube映像を拝見しながらなんだかワクワクしてきた。

思えば私はこれまでも彼女の「むちゃぶり」のおかげをけっこう被ってきた気がする。音楽家でない彼女の要求するものは時々へんてこに見えて、自身が演奏家だったら言わないようなことも言う。でも実際にカタチにしてみると不思議となんとかなるもので、そこに彼女の鋭い直観があることも感じられる。それに、相手にむちゃぶりされたからといって自分ができないことをやる必要はなく、その要求に自分の能力でできる限りのことをして応えようと試行錯誤しているうちに、いつの間にか自分では気がつかなかった自分の頭の中の中にある扉がパカッと開いたりする。少なくとも、そのきっかけを与えてくれるような気がする。そういうことが、彼女はできる人なんだな、と思った。そしてそれが本当に無茶振りだったかは、実際にやって出した結果と自分の変化から判断すれば良い。

ちなみに、コーヒーゼリーは美味しかったがコーヒーとは一緒に食べれなかった。今回の企画もそれぞれが自分のテリトリーから生み出した全く異なるものをうまく合わせられたら、それがベストなものになるような気がする。

人に会うこと

スイスから日本への直行便が、今回初めて夜のフライトになった。搭乗カウンターでの書類のチェック等で緊張したのと、夜も遅く疲れていたので飛行機の中ではほとんど寝ていた。何時間かウトウトした後、ふと目を覚まして飛行地図を見たら、すでに自分の乗っている飛行機はシベリアを越えていた。なんということだ!と思った。人は眠っている間にシベリアを飛び越えることがある、という現実がとても非現実的に思えて、窓から見える雲をぼんやり眺めた。この雲の下にどんな人がいて、何をしているのかを知ることは自分の一生の中で多分ないんだろうな、と思った。現実には、知らないうちに通り過ぎていく世界がたくさんある。

コロナで今まで考えもしなかった規制の中、自分の国に帰国する。昨年末から企画してきたコンサートを行うため、という理由はあるけれど、そこには自分のエゴだったり、単純に「人に会いたい」という気持ちも含まれていた。

「人に会う」ことは、ある意味自分を軌道修正していく作業のような気がする。

この21世紀の現在では様々なアイテムが開発され、どんなに遠くにいても機材があれば文字だけでなく瞬時に音声も映像も伝え合うことができる。会いに行くのは手間がかかるしけっこうめんどくさい。だから、なんとなく満足して、実際にはだんだん会わなくなっていく。ところが実際に「その人」に会うと、自分の中で勝手に描いていたイメージなど瞬時に崩されて「ああそんなもんじゃなかった」と気付かされる。「実際のその人」は、自分が考えていたよりもはるかに面白くて魅力的だということを実感して、ああやっぱりこの人と「本当に」会えてよかったな、と思う瞬間がある。そうやって、自分はこれまでいろんな人に、放っておいたらどんどん硬く小さくなってしまう自分自身の世界を軌道修正してもらってきた気がする。良いことか悪いことかはわからないけれど、「実際に会わないと伝わらないこと」は確かに存在する。そしてそれは音楽にも言えるように感じる。

「音」は空気の振動で伝わるものだから、当たり前だけれど同じ空間の中での演奏ではお互いが受け取る情報量が格段に多くなる。どんなに音源を送っても、ビデオで視覚的に見せても、お互いのパートを多重録音して確認しても伝えきれないことが、実際に同じ空間で演奏すると瞬時に伝わる。そうして「あ、こうじゃなかったんだね」とお互い軌道修正していける。そして相手から伝えられるものは自分一人で考えていたことよりはるかに面白かったりする。ああ同じ空間でこの人と「本当に」演奏できてよかったな、と思う。

私は雲の下にいるすべての人に会うことはできない。今、世界には78億7500万人の人が生きているそうだ。その中で私が会える人は限られている。だからこそ、本当に会いたい人には自分から会いに行かなくちゃいけないよな、と思った。

はじめて会う人

新学期になって新しい生徒たちが入ってきた。その中でチベットにルーツを持つ女の子がご両親と一緒にレッスンに来た。なんの不自由もなくドイツ語を話す彼女はレッスンが終わるときご両親と別の言葉で話していた。はじめ彼女のルーツがどこか知らなかった私はなんの気もなく「何語で話しているの?」と聞いた。すると一瞬黙ったあと「・・・・チベット語です」と言った。それを聞いたとたん私は反射的に「私は日本人です!」と言っていた。そこにあった(ように感じた)緊張感がふっと和らいだような気がした。一体、ギターを教えるだけの私は彼女や彼女の両親と自分の間に何を取り除きたかったのだろう。もし私が日本人ではなく、チベットと社会的に亀裂のある国の出身だったら、それだけで彼女と私の関係は変わってしまっていただろうか?«Tschüss!(さよなら!)»と楽しそうに挨拶して帰っていく彼女を見送りながら、自分の頭の中で起こったことについて考えさせられた。

彼女に会った同じ日の最後にレッスンに来た生徒はイスラムのスカーフを巻いた女の子だった。

9歳の彼女には12歳のお兄ちゃんが付き添ってきた。とても穏やかな笑顔の彼女は、はじめからギターでとても良い音を出した。そして彼女の小さなお兄ちゃんは妹に代わって私にてきぱきと話し、妹がギターをケースからとり出すのを甲斐甲斐しく手伝い、レッスン中は私の横で腕組みをして立ってレッスンを観察していた。その様子に少し圧倒されながら、まだ12歳だけど彼は「自分の役割」をきちんとつとめているんだなぁと思った。そして彼らには「どこから来たの?」とストレートに聞けない自分がいた。そもそも彼らは「来た」のではなく、ここで生まれ育ったのだと思う。そして自分たちの親世代のルーツを受け継いでいる。

レッスンの最後の方になってずっと腕組みして聞いていたこの小さなお兄ちゃんは「あの、ぼくもう帰っていいかな・・・?」と訊いてきた。「うんいいよ。それにもうすぐ終わりだよ。ありがとね。」と言ったあと、なんだか笑ってしまった。

そして昨日、私はスイス人メゾソプラノ歌手のコンサートに行った。ベルンでお世話になっている方のご紹介で来年2022年12月に彼女とコンサートを行うことになり、はじめて会いに行った。とても素敵な演奏会だった。私とのコンサートはクリスマスの時期ということで、彼女からWeihnacht(クリスマス)にちなんだバロック、ドイツロマン派、そして現代音楽の楽譜をもらった。オリジナルはすべてギターのために書かれていない作品だったが、自分にとってやりがいのある作品だったので引き受けた。彼女から渡された楽譜を見ながら、どの時代でもヨーロッパの作曲家にとってクリスマスの作品を作る、ということは特別な意味を持っていたのかな、と思った。それを来年自分が演奏することについても、なんだか面白いな、と思った。

今、わたしのいるところには、いろんな世界が存在して、みんな一緒に暮らしている。そしてそれぞれ真剣に生きている。私も頑張らないとな、と思った。

Summer Valentine (サマー・ヴァレンタイン)

ハーモニカ世界チャンピオンの大竹英二さんと、詩画家のほんまちひろさんと私の3人で「サマー・ヴァレンタイン」という動画を作った。

この曲はもともと大竹さんが作曲した作品だ。大竹さんのCD「くもりのない明日へ」に入っており、そこではピアノの永田雅代さんが伴奏されている。大竹さんの優しいメロディと、永田さんの和音をとても大切に演奏されている録音に感動して、去年、この曲をギターで一緒に演奏させて欲しいと大竹さんにお願いした。そして新たにつくるからには、私は大好きなオリジナルとは別の「サマー・ヴァレンタイン」を作っていこう、と思った。

私の「サマー・ヴァレンタイン」は、「海」のイメージだった。

ボサノヴァ調のコードとリズムで伴奏し、イントロでは以前大竹さんが「浪漫」という言葉を使っていたことから米米クラブの「浪漫飛行」のベースの動きから低音の流れを作った(ちなみにこの曲は沖縄のCMに使われていた)。

ソロでは「好きなことをしていい」と言われたので、気泡を含んでレース編みのように白く泡立った波をハーモニクスで、大西洋じゃない「日本の海」のイメージを親指の上下運動によるメロディで、深い海鳴りを親指と人差し指を交互に使う和音で、次第に盛り上がっていく波をラスゲアードで表現した。

そしてこれはヴァレンタインだから、ハーモニカとの最後の掛け合いで自分が好きだったミニー・リパートンの“Lovin you“を少しだけ入れさせてもらった。入れながら、もしこの小さなモチーフに気がついてくれる人がいたら、私はその人のことを好きになるかも!とかドキドキ思ったりした。今のところ気づいてくれた人はいないので、自分で報告しておく。そんなふうにしてアレンジした。

録音が完成し、1年経った今年7月、ほんまちゃんが動画を作成して送ってくれた。データを開いて、ええっそうなの!?と思った。彼女の動画は全然「海」のイメージじゃなかったからだ。男の子と女の子がいて、ラスゲアードで表現した私の高い波は、「雨」になって上から降っていた。そうか、彼女にとっての「サマー・ヴァレンタイン」はこのイメージだったんだ、と思った。同じ音を聴いていても、同じイメージを受けとるわけではない。他人がいてくれることではじめて生みだされる「違い」。面白いな、と思った。そして、曲の一番最後にくるギターのハーモニクス音のところで涙に青の色が入ることに感動、脱帽した。素晴らしいアイデアだ、と思った。

実は、この曲を一緒に演奏させて欲しいとお願いした時、大竹さんから、この曲は8月14日がお誕生日だった大竹さんの親友のために書かれた作品であることを教えてもらっていた。そして、そのご親友はすでにお亡くなりになったこと、だから大竹さんにとってこの曲はレクイエムのような曲になっていることも教えていただいた。オリジナルのCDでこの曲がものすごく特別に感じたのはそういうこともあったからなのかもしれない 。それは、大竹さんにしか演奏できない「サマー・ヴァレンタイン」だった。その大切な曲をアレンジさせていただいたことに、改めて感謝する。

ということで、今回私たち3人がつくった「サマー・ヴァレンタイン」はそれぞれ同じではない。もちろんこの話は3人とも知っているけれど、それでも少しずつ受け止め方が違う。お互い違うことは知っていて、それを一つの作品にした。おそらくこの動画を観る(聴く)人も、私達とはまた違ったイメージを持たれるのだと思う。そうやって「サマー・ヴァレンタイン」のイメージは広がっていく。それは、素敵なことかもしれない。

「Summer Valentine」動画  
https://www.youtube.com/watch?v=hujKzvrCTag

ほんまちひろHP:
https://chihirohomma.com/

大竹英二HP:
http://harmonica.jyoukamachi.com/


 

マスクの中にかくれてたもの

今週スイスは規制が大幅に緩和された。屋外や職場等におけるマスク着用義務が廃止され、学校では生徒も教師もマスクを着用しなくて良いことになった。長い間、ほぼ当たり前のように着けていたマスクをはずして最初のレッスンを行ったとき、ああ私はいま新鮮な空気を吸っている、と感じた。長期のマスク生活を通して自分の声(というか肺活量)が若干大きくなったのと、生徒に伝えようとする身振り手振りもいつの間にか大げさになっていたことにも気がついた。

マスクを外したレッスンの一人目の生徒は9歳の女の子だった。彼女はレッスンでじっとこちらを見て、それからゆっくりニコッと口を広げて笑った。一瞬、この子こんなに素敵な笑顔ができる子だったっけ?と思った。

マスク以前には当たり前に見ていたことが久しぶりだったので新鮮に見えたのかもしれない。けれど、おそらく彼女はマスクをつけている間もこの笑顔をしていたのだと思う。それが見えない私に、一生けんめい目を大きく開いてマスクの中でも笑っていることを伝えようとしてたのかな、と思ったら、胸が締め付けられる思いがした。そして、なんだか一緒に笑ってしまった。

本当にそれだけのことなのだけれど、自分にとってはそれがとても印象に残った。

そういえばこちらでマスクが義務付けられた当初、知り合いからこんなことを言われた。「emoji(絵文字)って日本語でしょ?私気がついたんだけど日本人のあなたは表情を作るときに目がよく動く。一方私たちはよく口で表情を作るの。あのマークでは目の形がとても重要な要素よね。すっごく日本的だな!って思っちゃった。」私には絵文字が日本と関連するものかもわからないし、そんなこと考えたこともなかったけれど、確かに彼らは笑うとき目の形があまり変わらない。そのぶん口を大きく開けて笑う。そうか、ちょっと違うんだ。と思った。そして、マスクを外した今週から、私は「目」と「口」の両方のかたちで自分の気持ちを伝えることができるんだ、ということに気がついた。なんて素晴らしいことなんだ!と思った。

マスクにかくれて気付かずに過ぎてしまったこと、見落としたり忘れてしまったこと、そして相手に伝えられていなかったことが自分にはいくつあるのだろう。私はそれを、これからひとつずつ取り戻していかなければいけない。

黒いデカメロンの謎 (Black Decameron's Labyrinth)

ギターソロ曲に「黒いデカメロン(El Decamerón Negro)」という作品がある。キューバの作曲家レオ・ブローウェルが1981年に書いた作品で、子供の頃日本人である私はタイトルから黒くて大きな球体を連想してしまったが、実際にはこの曲はドイツの民俗学者レオ・フロベニウスが1910年、アフリカの様々な物語を収集して発表した本「Der schwarze Dekameron(黒いデカメロン)」からインスピレーションを受けて作られた作品であると言われている。 

各楽章物語性の強いタイトルがつけられており(I. 戦士のハープ、II.こだまの谷を逃げて行く恋人たち、III.恋する乙女のバラード)、その「物語の内容」もCDブックレットなど様々な媒体で解説されている(3つの楽章は1つの物語に基づいており、音楽家になりたくて追放された戦士が部族を去り山に籠っていたが、のちに部族の危機を知り彼らのために戦い勝利する云々)。

 それらを読んでいて、オリジナルはドイツ語なのだから一度その「物語」を実際に読んでみたい、と思った。ベルンで一番大きい本屋さんに問い合わせると、1910年に発表された原書がそのまま印刷されたファクシミリ版(Verlag der Wissenschaftenによる出版)を取り寄せてくれた。

 嬉しくてさっそくページを開いてみたとたん、「うげっ」となった。当たり前といえば当たり前なのだが、当時の印刷なので文字がすべて当時ドイツで使われていたフラクトゥールという旧い書体で書かれていた。私にとってこれは楔形文字(小文字のfとsとkがほとんど同じ棒に見える)と蛇がとぐろを巻いているよう(大文字のEとSとGが全部まるっこい)にしか見えない文字であり、一瞬怯んだ。でもまぁこの1話だけ読めればいいんだから、と気を取り直して目次を見て、さらに愕然とした。それらしい話のタイトルが見つからない。ということはつまり、ふってあるだけで387ページあるこの楔形と蛇によるドイツ語を私は全部読まなくちゃいけないのだ、ということに気がついた。ちょっと気が遠くなったが、そのままにしてもしょうがないので、仕方なく最初から読みはじめていった。

「黒いデカメロン」のはじまりは、レオ・フロベニウスが彼の時代よりさらに500年前に生きたボッカッチョ(14世紀イタリアで物語文学の傑作と言われる「デカメロン」を書いた作者)に宛てた「お手紙」から始まる。

「敬愛するボッカッチョ様!(Hochverehrter Boccaccio!)」という題ではじまるこの文章は、意外にもシンプルで読みやすく、実はこの人はユーモアがあって親しみやすい人なんじゃないだろうか、と思う語り口だった。自分のドイツ語レベルでも読めるかもしれないと感じ、もうちょっと読んでみようと決めた。

 紹介される物語はそれぞれ3つのカテゴリーに分けられていて、はじめに9つの英雄伝、第二章は様々な動物が登場する寓話、第三章では「ユニーク(個性的)な物語」が9話紹介される。各章ごとにフロベニウス自身による読者への解説があり、それが結構面白い。余談だが第三章の解説で彼は、民族をグループとしてしかみていない人にはその顔かたちが皆同じに見えてしまうが、ひとたび関われば彼らのそれぞれ異なる個性を知ることになる、と語り、その中で「日本人 (Japaner)」という言葉も使っていて、びっくりした。ちなみに彼の文章では吟遊詩人や英雄たちが奏でるアフリカの楽器(おそらくコラという楽器)はすべて「ギター(GuitarreまたはGitarre)」と呼ばれている。

 さて、1ヶ月以上かかってなんとか最後まで読み終えて私がわかったことは、この「黒いデカメロン」のオリジナルであるドイツ語の原書には、ギターの世界で伝えられている物語に当てはまる話は無い、ということだった。

無理やり関連づけようとすれば、戦いに行きたくなくて家から追放される「戦士」はいたが、彼は「家にいたかった」だけで、音楽家になりたかったわけではなかった(後に彼は勇者となり様々な戦いで勝利を得るが、最後はあっけなく奴隷の手で殺されてしまう)。蛇の生け贄になるはずだった恋人を助けて二人で馬に乗って追手から逃げる恋人たちはいたが、この話に「こだまの谷」は出てこない。これらは別の話であり、そして「1つの話」でもない。これはどういうことなのだろうか。

 もしかして「黒いデカメロン」には別のバージョンがあるのだろうか?そう思ってネットで調べて見ると、同じように「ギターの黒いデカメロン」に出てくる物語をフロベニウスの本から探そうとした人がスペイン語で論文を書いているのを見つけた。彼は完全に一致する話は探せなかったようだったが、この物語を探しているのは私だけじゃないんだ、とわかってなんだか安心した。さらに調べていくうちに日本語訳版(1973年発行)があることも知ったが、そこに収められている話はドイツ語版とはかなり違った趣で、寓話はすべてカットされ、原作には入っていなかった性的な話がはじめにたくさん紹介されていて、なんだかさらにギターの黒いデカメロンから遠ざかっていくような気がした。

 はじめになかった話がどうして入っているのだろう?と思っていると、訳者である大久保昭男氏があとがきでこう書いてくれていた。「なお、本書は、当初、編者フロベニウスによって書かれたドイツ語版(Das Schwarze Dekameron)からのイタリア語訳(Il Decamerone nero)の五十三編中から十八編を任意選択して邦訳したものである」

つまり、「黒いデカメロン」はドイツ語からイタリア語に訳されたときに、何か別の物語も一緒に入れて発行された、ということだろうか。

 さらにわからなくなって悩むうちに、もうこうなったら作曲家のブローウェル氏に直接聞いたほうが早いんじゃないか?と思った。知人がブローウェル氏の出版社Ediciones Espiral Eternaのサイトを教えてくれて、ここに質問すれば何か答えを教えてくれるかもしれないと思いサイトを開いてみると、そのトップページで今年2021年1月「黒いデカメロン」の拡大バージョンが作曲されたことが書かれていた。1981年から実に40年経った今年、新たにそれぞれの楽章に短いイントロがつけられたのだ。これはもう買うしかない。さっそく注文したあと、サイトのお問い合わせコーナーから尊敬するブローウェル氏にあて長いメッセージを送った。それは質問というよりほとんどファンレターのようなものになってしまったが、子供の頃から好きだった作曲家にメッセージを書くなど、思ってもみなかったことだし、お返事が来なくても構わない、と思った。実際まだお返事はもらっていない。でも、それでいいんじゃないかと思うようになってきた。新しい拡大バージョンの楽譜は、とても素敵だった。深く感動した。そして楽譜のはじめには、氏の奥様で音楽学者のIsabelle Hernández女史による作品の解説が書かれていた。この作品はレオ・フロベニウスの「黒いデカメロン」の中にある1つの物語からインスピレーションを受けて書かれたこと、そしてその物語の概要が書かれていた。それは、これまでも様々なCDブックレット等に書かれてきた内容であり、私がみつけられなかったお話だった。

とても長いまわり道をして、ふりだしに戻ったような気持ちになった。でも、これでいいのかもしれない。ブローウェル氏にメッセージしたとき、私は自分の頭の中で永遠に続いてしまいそうな螺旋を断ち切って欲しいと思っていた。でもそれは他人にしてもらうものではないのかもしれない。

そもそもフロベニウスが集めた物語は、彼自身が作ったものではなく、アフリカの様々な民族の人々が口承で伝えてきたものだ。この物語は原書のドイツ語にはなくとも、イタリア語やスペイン語に訳された「黒いデカメロン」のどこかに隠れて入っているのかもしれない。「こだまの谷」について、いつか何語であっても読んでみれたらいいな、と思う。黒いデカメロン、この迷宮は私のなかでまだ続く。 

踊る (tanzen)

音楽学校のアンサンブルコンサートが6月野外で行われる。私のクラスはガスパール・サンス(Gaspar Sanz,1640-1710)のカナリオス(Canarios)を全員で弾くことにした。17世紀スペイン・バロックのギタリストによるこの作品は、もともとギター(正確にはバロックギター)1本で弾ける曲だが、中間の掛け合いはパートに分けた方がわかりやすいし、後半Dチューニングのラスゲアードを皆で弾いたら絶対カッコイイよな、と思った。ギターを始めたばかりの小さな生徒から数年弾いているティーンエイジャーまで、それぞれのレベルでできることを一斉にやる。今週ためしに「こんな曲なんだけど」と一人ひとりに弾いて聴かせると、小さい子も大きい子も目を大きく見開いて(←マスク付けてるからよけい強調されてみえる)「カッコイイ・・・!!」と言った。300年以上昔に書かれた作品が、色褪せることなく現代の子供たちにヒットする。なんだか自分もワクワクした。

一人でも弾けるものをなぜアンサンブルで弾くのか。へんな言い方になるかもしれないが、今回の目的はアンサンブルそれ自体ではない。クラシックギターの名曲をなんらかのかたちで知ることは、けっこう大事なことだと思う。その作品を一人では(まだ)弾けない子も皆と一緒に弾いたらその音楽がどんなにカッコイイかを体感できる。ちなみに一番新しい生徒は来週入学する6歳の男の子だが、彼を本当に参加させようと思うならこの作品の場合、ほぼ開放弦だけ(DAD、GD等)で一緒に「弾け」なくもない。そして、自分より少し年上の上手な子と弾くことは「自分も将来こんなふうに弾けるようになるかも」というパースペクティブ(見通し)につながる。ある意味この効果は大人と弾くよりも大きい気がする。弾ける子は自分が弾くことでまわりを助ける役になり、それはそれでたまには良い気がする。楽譜はそれぞれの子が何が弾きたくて、今のレベルで何ができるか、いくつかパターンを試してみてから作っていく。なんとなくオーダーメイドの仕立屋になった気持ちになるけれど、当日それぞれが自分の弾けるレベルで曲を味わえたらいいなと思う。

ちなみにカナリオスは踊りの曲だ。そのむかし私はバーゼル音楽院でErika Schneiter女史によるルネサンス・バロックダンスの授業を少しだけ受けたことがある。私が入学した時彼女はすでに定年間近の小柄なおばあちゃまでいらしたけれど、彼女は踊りだしたとたん「この人は妖精なんじゃないか」と思ってしまうくらい軽やかで美しく、チャーミングな踊り手に変身する人だった。そして彼女のクラスで踊りながら、ああここにある音楽はなんて活き活きしているんだろう、と思ったのを、今でもよく覚えている。レッスンでは実際に踊る以外に学生が自分のレパートリーを演奏し、他の学生達が(その演奏で)踊れるか試されたりもした。あるとき彼女がレッスンで「(バロックの)色々な演奏のCDがあるけれど、でも〈本当に踊れる演奏〉は少ないのよね」と言った。あくまでテンポなど技術的なことを指摘したものだったのだが、自分にとってこれは何というか、かなり衝撃的な発言だった。もちろん「踊れる」ことだけが音楽の要素ではないのだけれど、ダンサーはそういう見方、聴き方をしている、そしてそれを見分けられるのだ、ということが何故だか深く心に残った。

本当に心が踊りだしたくなる演奏には何が隠れているのか。これは、ずっと考えていかなければならない。

伝えられるうちに

ごくたまに、ホームページにメッセージが届く。今のところすべて海外からで、とても丁寧なドイツ語で書かれたメッセージもあれば「ハーイ、ナナ!」とかなりフランクな英語で書かれたメッセージもある。知らない人からのメッセージは少し緊張するけれど、やっぱり嬉しい。ほとんどがジブリのソロギターについてのお問い合わせで、先月はブラジルの方からの、メッセージだった。

「ソロギターで弾くスタジオジブリ作品集」のCD演奏をさせて頂いたきっかけは日本のギターリーダースクラブ(GLC)が主催する「学生ギターコンクール」だった。当時ヤマハミュージックメディアの担当者とギタリストでありアレンジャーの江部賢一先生が「ジブリを弾く子」を探しにコンクール会場の客席にいらしていて、その時出場していた私を選んで下さった。このことが私の人生を大きく変えてくれたことは言うまでもない。腕を故障しかけた後ようやく出場したコンクールで、ものすごく好きだった「ジブリ」の曲を演奏するお仕事をいただいたことがどれほど嬉しかったかは、いまだに言葉で言い表せない。新しい映画ができるたびに江部先生のアレンジしたジブリ作品を録音する作業は本当に楽しかった。数年後、その録音をハクラレーベル(Sony)が独立したCDにして下さったことも感謝の念に尽きない。

その楽譜を、今海外の方が欲しがっている。不思議な気分とともに、胸が熱くなった。

じつは現在、国内からは「ソロギターで弾くスタジオジブリ作品集」の楽譜は1曲ずつオンラインで購入・印刷できる。「ぷりんと楽譜」というヤマハのサイトからダウンロードできるシステムになっていて、これは非常に画期的なことだと思う。ただ残念ながら2021年3月現在、海外からこのシステムで購入することはまだできていない。だから、回りまわって「オンラインで印刷購入は出来ないのか?」と私のホームページに問い合わせがくる。作品に興味を持ってくれたことへのお礼と、これらの作品が江部先生のアレンジであること、ヤマハミュージックメディアのサイトや紙媒体の楽譜を海外に郵送するサイトなどを紹介した返信を送りながら、毎回自分がなんの役にも立てないことに申し訳なさを感じる。1日も早くこのシステムが海外でも使えるようになったらいいと思う。そして、一番このことを伝えたい江部先生がもういらっしゃらないことに、改めて気付かされる。

今月、江部先生のアレンジされたヴィヴァルディの「春」を動画録音した。

この作品はシンコーミュージックから出版された先生の曲集「ポピュラーアレンジ・クラシック」に収められている。現在絶版となっており、中古の楽譜を扱うサイトからも入手が困難になっている。動画を録音することは自分自身のためでもあるのだけれど、ボサノヴァスタイルでアレンジされたこの素敵な作品を、なんらかの形で残しておきたいと考えた。それは、この作品を知っていて、まだ生きている自分の義務でもあるような気がした。そして今回録音するにあたり、先生のご子息である江部北斗さん、江部聖也さんとも初めてコンタクトをとらせて頂いた。録音のご承諾をいただくことと同時に、お父上のアレンジは世界中で愛されています、という自分がずっと伝えたかったメッセージを、ようやくお伝えすることができた。お伝えしてから、それが今回自分にとっては一番大事なことだったんだ、と気付いた。

人に何かを伝えるのは、思ったより勇気がいる。でも、伝えたいことは、伝えられるうちに、伝えておいた方がいい。


「ソロギターで弾くスタジオジブリ作品集」楽譜
https://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTL01081341&dm=d&o=10

「ぷりんと楽譜」(あの日の川・江部賢一編曲)
https://www.print-gakufu.com/score/detail/48859/

A.ヴィヴァルディ「春」動画(アレンジ;江部賢一、演奏:日渡奈那)
https://www.youtube.com/watch?v=9-KYHtjGtOc

音をかきわける

今月5つの小品を採譜した。ピアノ作品がリコーダーとギターのためのデュオに編曲されたもので、楽譜がなかったのでネット上の動画から採譜した。

私はこの作業、いわゆる「耳コピ」が結構好きだ。そのむかし音楽雑誌で様々なポップ&ロックバンドの新曲を採譜する作業に関わらせて頂いたとき、いくつかの手順を教えてもらった。

バンド曲の採譜では、まず曲全体の「サイズをつかむ」ことからはじめる。イントロは何小節、Aメロは何小節あるのか、その拍数を数えていく。その上で繰り返し記号を使うのか、D.S.やコーダで対応するのか等を決め、譜面の枠を作っていく。ざっくりとしたハーモニーはギターでだいたい推測できるのでそこから調号を書き出した後、ベースギターの音を追っていく。なぜならベースの音をたどっていくと、正確なハーモニーを確認しやすいからだ。いろんな音がたくさん鳴っていてぱっと聴いただけではコードがよくわからない時、一番低いベース音を聴くことで「ああやっぱりそうか」と確信を持つことができることがある。ちなみに私はよく、曲の中から聴こえてくるベースギターの動きに感動する。特にポップスで、なんだかわからないけれど聴いていてドキドキする曲というのは、たいていベースの動きがカッコいい。バンドを支えるのはベーシストだと勝手に思っている。古楽の世界でも、メロディに通奏低音のみが楽譜上に書き残されてきたことを考えると、バス音の動きがいかに重要視されていたかが感じられる気がして、面白い。

話をもとに戻そう。今回の作品はピアノのオリジナル譜もあり、動画で音だけでなく指の動きも観られるのでそれほど大変な作業にはならないだろうと思っていた。しかし久しぶりにやってみたらそれなりにけっこうな時間がかかってしまった。

不思議なもので、音を「可視化」することは自分の耳にも影響を及ぼす。いったん楽譜に書き起こした音符を見ながら音源を聴いていくと、今まで曖昧にしか聞こえてこなかったものが急にくっきり聴こえてくることがある。今回も楽譜をたどりながら突然、今まで全く聞こえなかった高音に気がついて「今の何!?」とびっくりすることが多々あった。

また、今回は音をとることだけではなく、アレンジとして「なぜその音なのか」という理由を探し当てることにも時間がかかった。オリジナルと違う音を出している箇所は、その音のハーモニーが本当にあっているかを原譜と照らし合わせていかなければならない。同じ和音でもギターで自然によく響く構成音の順序に変えることなどは、私は間違いではない気がする。じゃあどこまでが「良く」て、どこからが「いけない」ことなのだろうか?基本的にオリジナルにとても忠実な音をとっているアレンジだけに、オリジナルと「違う」音には立ち止まらずにはいられない。それらには、どうしてそうしたのかすぐにわかるものと、しばらく考えなければならないものがあった。そしてその「理由」が自分なりにわかった時、「ああそうだったのか」と、編曲者であり演奏者である彼らに対し、改めてリスペクトを感じるようになっていった。

というわけで今回私は採譜をしたことでいろいろなことを勉強させてもらった。と同時に、今自分が用意すべきプログラムに必要な作品はこの5曲以外全てちゃんとした楽譜がある、ということに対して、あぁありがとうございます涙!と思わずお礼を言いたくなった自分がいることにも笑ってしまった。たまにやってみたくなる、時間がかかるけどワクワクする作業。やっぱり私は好きだ。

流れるように動く

生徒のプライバシーについて考えた、と言えば聞こえは良いだろうが、発表会をライブストリームで行うことを音楽学校から提案された時、自分は反対だった。「ビデオで十分じゃない?」と思った。ライブ配信はいろんな意味でハードルが高すぎる気がした。プライバシーに関しては、リンクを渡された人以外は映像を観られないこと、宣伝などに使用しない事などを記した規約書を生徒全員の家庭に配り、承諾サインをもらうことで解決した。それでも通常315人入れるホール内に16歳以上が5人までしか入れないこと(生徒を前半と後半に分け入れ替えて対応)、そのため教師と録音を担当する上司以外は生徒を学校まで連れてくる保護者も会場に入れないことを聞かされた時、正直「これやる意味あるの?」と思った。生徒同士、その場に来ている親もホールで聴けないのなら、何も全員が同じ日に集まる必要はなく、それぞれができる時間にホールでビデオ録画したら良い。ビデオなら間違っても何回かトライすることができる。生徒にとっても保護者にとっても、そして教師である私自身のメンツにとっても、そのほうがメリットがある気がした。

色々悩んで、数少ない日本人同僚であるピアノ教師の石塚シュタイナー佳代さんにそのことについて相談した。すると彼女は「ライブストリーム、やって良かったよ。」と言った。すでに発表会をライブ配信で行なった彼女の感想は、ライブストリームにはビデオでは得られない臨場感があり、良い意味での緊張感が生徒に集中力を与えること、たとえ間違っても達成感があり、そして生徒自身が「自分の演奏がYouTubeで流れた」という体験を通して「Stolz(誇り)」を持つようになった、ということを教えてくれた。保護者の反応はどうだった?と尋ねると、「ねぇ考えてみて。自分の子供が一人で舞台に立って演奏しているのを自宅のコンピューターを通して観た時、自分だったらどう思う?」と聞かれた。自分の息子がまず学校までたどり着いて、大ホールの舞台に立ち、たった一人の力で演奏する。そしてそれをYouTubeの中継で観る。泣けるわ笑、と答えた。それがどんな演奏になったとしても親としては十分に褒めてやりたい。親が感じるのはそういうことなのかもしれない、と思った。

発表会は生徒のために行われる。自分では考えてもみなかったけれど、ライブストリームでは生徒にとって今までなかったメリットも付加されるらしい。もし本当にそうなら、自分のメンツとか言っている場合じゃない。やってみよう、と決めた。

それからは生徒とライブストリーム対策をしていった。「ここらへんにカメラが来るからね、前からはちょっと強いライトがくるよ」などと思いつくことを適当に言いながらイメージを準備していった。自分にとっても初めての体験、なんとなく楽しくなってきていた。

ところが発表会前日、学校から「ライブストリームのための機材が故障して直らない。明日の発表会はビデオ録画に切り替える」と連絡が来た。この形でやると思い込んでいたのでちょっと拍子抜けした。人生コロナじゃなくてもいろんなことが起こる。仕方ないので全員にメールでその旨を伝えた。全然やりたいと思っていなかったライブストリームが出来なくなると知った瞬間、やってみたかったと思う自分がいることに苦笑した。

さらに当日の朝、新たに学校からメールが来た。「ついに機械が直った!今日の発表会はライブストリームで決行する」という内容だった。力が抜けた。マジか!と思うとともに、あまりの脱力に余計な緊張も抜けた。速攻で再び保護者に連絡し、自分を落ち着かせるために考えていた挨拶文をもう一度読み直した。決めたんだからそのままビデオ録画にしてもよかったんじゃないのか!?と思う反面、前日決定の連絡をしてからもずっと修理をトライしてくれていたんだな、と思ったら胸が熱くなった。ちょうどこの日に別件で連絡していた日本の友人、詩画家の本間(ちひろ)ちゃんにそのことを伝えると、「ナナがダメでも、子どもたちはしっかりしているだろうから、平気だよ!」というメッセージをくれた。

実際その通りだった。当日生徒たちはそれぞれが堂々と弾ききった。子供ってやっぱりすごいな、と思うとともに、やってよかったな、と思った。

ライブストリーム(Livestream)の「stream」には、「小川」「(人、物、時の)流れ」という名詞の他に「流れるように動く」という意味があるそうだ。「流れるように動く」っていい言葉だな、と思った。今、世の中は今まで当たり前にしていたことができない状態になっている。でも自分は今ここで生きているのだから、しっかりと、流れるように動いていこう、と思った。

Alba(夜明け)

いま、来年10月リコーダーの高橋明日香さんと日本で行うデュオコンサートを企画している。「Alba(アルバ)」と題し、「リコーダーとギターの世界を広げる」ため、既成の作品のほか作曲家の清水一徹氏にこの組み合わせのための作品を書いて頂く。プログラム案を見せた時、氏から「良い意味で、正統派と野心的なプログラムが両立されていて大変興味深い」とコメントをもらった。ああ今自分がやってみたいのはまさにそういうものです、と思った。自分の頭の中というのは曖昧で、他の人が言葉にしてくれることで初めて気がつけることがある。今回それを清水氏が的確に捉えて教えてくれた気がして、嬉しかった。今回の企画は会場との共催を申請しているため、プログラムやプロフィールとは別に企画書、公演実績などの書類が必要なのだが、お二人とも話がものすごく具体的でクリアなことに驚いた。情報が的確に提供されるのでYesかNoかの判断がしやすく、結果話が早い。さすがだな、と思った。最終的にこの仕事は目に見えない、カタチとして触れることのできないものをみんなでつくっていく。だからこそ、それ以前の作業はできるだけ具体的にしておいた方が良い。そしてその作業をスムーズに行っているときは、なんというか、お互いの言葉がクリアに響く。たぶんそういう時の「言葉」は、何かを伝える手段というだけでなく、ある意味大事なバロメーターにもなっているのだと思う。

ちなみに今回のコンサートのタイトルは明日香ちゃんが決めてくれた。「Alba」はイタリア語やスペイン語で「夜明け」を意味する。そして今回演奏するN.ダンジェロのリコーダーとギターのための作品のタイトルでもある。「タイトル何にしようか?」と聞いたら「夜明け。」と即答してくれた。考えてもみなかった言葉でびっくりしたけれど、素敵だな、と思った。そしていろんな意味で今回の企画に合う気がした。私たちが打ち合わせしていたのがスイスの深夜で、日本時間の早朝だったから、という単純なことでは決してないと思うけれど笑、そうであったとしても、いいなと思った。

何はともあれ今回このお二人とタッグを組めることが、すごく嬉しい。

私たちは夜明けを待つ。それがまだ来ないなら、まずは自分でろうそくを灯そう。

 

小さい実

ギタートリオでビデオを録画した。

音楽学校の企画で、学校公開のイベントが行えない代わりにそれぞれの楽器の先生が演奏したものをビデオ収録し、ホームページで公開するそうだ。ギターの映像は私と夫のChristoph Borter、ペルー出身のギタリストErnesto Mayhuireの3人で演奏することになった。

ギターは「小さなオーケストラ」ともいわれる楽器、それが3台もあつまれば、かなりいろんなことが出来る。が、夫のクリストフが提案したのは全く逆だった。

コンサートで聴かれることはないものの、ギターには「少し弾けるようになったらすぐ弾ける曲」というのもわりとある。メロディはとてもシンプルだけど先生のおしゃれな伴奏がつくから楽しく演奏できる。はじめてこの楽器をさわる子供たちに、自分はあえてそういった曲を紹介したい、と彼は言った。

たしかにそういうアプローチもあるよな、と思った。そこで色々試した結果、ショット社から出ているLeslie Searleの“Guitar Fun”という曲集に入っているトリオ曲を2つ演奏、収録した。文字どおり、楽しい曲だった。

そして今回3人で弾くことで、私は小さい頃母と妹とトリオで弾いていたときのことを思い出した。

母の先生であった津田昭治先生が自分たちギタートリオのためにアレンジして下さった曲はどれも、子どもの私と妹に演奏可能な、素晴らしいアレンジだった。中でも一番好きだったのはビートルズにバッハのモチーフを取り入れてアレンジされた「イエスタディ」だった。何百回弾いたかわからない。生意気なことを言うと、当時の私には子供にも演奏可能なのに洒落ていて、全然子供っぽくなく聴こえるこの作品を弾けることがすごく嬉しかった。

楽譜は母しか持っていなかったけれど、どんなアレンジだったか思い出してみたくなり、五線譜に書き出してみた。ここで妹が入って、このリズムとコードで母が伴奏して、私はこのモチーフを弾いて・・・と、慎重に記憶をたどっていくと、全員のパートが書けた。それは自分でもちょっと驚きだった。書き出したものを見て改めて、ああ、本当に素晴らしいアレンジだったな、と思った。

ほんとうのことを言うと、今回自分はこの曲をもう一度弾いてみたかったのかもしれない。でも、結果としてこれで良かったと思う。このアレンジは津田先生の作品であり、また私にとって、この曲には思い出がありすぎる。いつか先生が手がけて下さった全てのアレンジ譜が出版されたら、喜んで買いたい。だってそれを弾いてギターが好きになる子が、どこかにいるかもしれないのだから。

Götti(ゴッティ)

音楽学校で研修中のギター講師の面倒をみることになった。スイスの音楽学校講師の採用試験は、まず新聞や学校のホームページで募集が告知され、書類選考で選ばれた数人が面接試験に招待される。そこでは彼らと面識のない、レベルの異なる二人の生徒が用意され、実際にレッスンを行う。審査員は学長やその楽器を音楽学校で教えている講師のほか、他の学校から呼ばれた専門家など全員で5人ほどのグループで構成されていて、レッスン終了後に質疑応答があり、それが終わると試験官の前でソロ演奏を披露する。

以上が通常の流れだが、今回は少し特殊なケースでこれらに加え1年の研修期間が与えられ、その後再び試験が行われることになった。そして、私はこの研修中のギター講師候補者の一人の世話をする役になった。この役のことを音楽学校ではGötti(ゴッティ)と呼んでいる。本来Göttiとはスイスドイツ語で、両親に何かあったとき遺された子を世話する後見人のことを指す。この習慣は今となってはシンボリックでしかないものの現在も続いており、子供が生まれると男性女性それぞれ一人ずつ知り合いから選んでなってもらえるようお願いする。ドイツ語ではPatenelternと言われ、英語ではゴッドファーザーになる。何はともあれ今回、私は初めてGöttiになった。

私が担当するのはイタリア語圏出身のスイス人だ。現在フランス語圏に住んでおり、伊・仏・独3ヶ国語でレッスンができる。

今月、今後の流れを説明するため学校に会いに行った。簡単な挨拶をした後、ふと「タバコ吸っていいかな?」と訊かれた。一瞬身構えた。おおうここはやっぱり日本ぢゃないぜと思うと同時に、何で私が緊張しなきゃいけないんだよ笑!と自分で自分をツッコミたくなった。そして、これから自分が世話をしなくちゃいけないこの青年はタバコが吸える年齢なんだよなぁ、と改めて思った。話してみると気さくな人で、自分で見つけてきたPCで出来る音名探しゲームを私に見せながら「今日レッスンで試してみるんだ。うまくいったら教えるね。」と楽しそうに言った。一体どっちが教える方だよ笑、と思いながらも「ありがとう、ぜひ教えてね」と伝えた。

実際のレッスンも見学した。自然体で雰囲気があたたかく、生徒たちからきちんと信頼されているのが感じられた。たくさんの良いアイデアを取り入れた、全体としてとても良いレッスンだった。見学しながら、「素」な人っていいよな、と思った。生徒たちから信頼されているのは、もちろん技術的な要素もたくさんあるのだが、基本彼が素だ、ということも大きいのではないだろうか、と感じた。誤解を恐れずに言うと、私は「隠さない先生」が好きだ。自分のできないこと、苦手なことを隠して無理に「先生」になろうとしても硬直するだけだし、かくしたところでどっちにしろボロが出る。それを生徒は簡単に見破る。自分が恥をかくことを怖いと思っている間は相手に何かを教えることはできないのではないかと思う。だから、その覚悟ができている人は、一緒にいてすごいなぁと感じる。もちろん人間何百年も生きてはいられないのだから、知っていることは次の世代に伝えておいたほうがいい。そう思った時、そうか今回自分はこれが怖かったんだな、と気がついた。生徒ほど年齢が遠くない、いずれ同僚になるかもしれない相手に、自分がGöttiとして伝えることが何の役にも立たなくて自分が恥をかくのが怖かったんだ、とわかった。本当には相手のことを考えていなかったんだな、と気づいた時、自分のなかで何かがすとんと収まるのを感じた。自分にわかることは全部伝えよう、と思った。

今の彼にとって何が必要なのかを観察すべく、レッスン中の出来事を細かくメモしていくと、確かにいくつか指摘すべき点があることにも気がついた。それはかつて私自身がしていたミスとも似ていた。事象と行動と結果、この点についてはこういうアプローチもあるよね、という具体的な改善策を箇条書きにし、良いなと思ったことも書き出してから、レッスン後、ポイントごとに簡潔な言葉で短くコメントしていった。

一つ一つのコメントをうんうんと頷きながら聞いていた彼は、最後に満面の笑みで「ありがとう、ナナ!!」と言った。マスクを通してもわかる笑顔ができる人ってすごいなと思いつつ、いやいやこっちがありがとうだよ笑、と思った。

音の井戸

今月ベルンで弦楽四重奏と共演して一番感動したのは、彼らとのプロべ(合わせ)だった。

今回演奏した五重奏はコンチェルトではないのでソリストとして最後の合わせだけ参加するのではなく、他の4人と共に初回から合わせに参加した。

プロべをはじめてみて、演奏はもちろんなのだが合わせのすすめ方が合理的で、なおかつその雰囲気がとても「気持ち良い」ことに驚いた。そして自分なりにどうしてだろう?と考えた。

はじめ、言葉のせいかな?と思った。5人中3人はスイス人だったが、第一ヴァイオリン奏者がヴェネズエラ出身でドイツ語より英語の方が慣れていたため、合わせの際の言語は誰の母国語でもない英語を使った。母国語でない言語を使うとき、人は自分の意図が相手に正しく伝わる言い方になるようそれなりに考える。同時に余計なことを言わない(言えない)から自然と無駄のない会話になる。だからだろうか?と思った。

でも、それだけではない気がした。皆言いたいことは全部言っている。性格も結構バラバラだと思う。でもその場が決してネガティブにならない。もっとよく観察していくうちに、ああそうか、と思った。全員に共通していることとして、何か意見を言う時、そこに自分の感情を混ぜないという単純なルールを守っていることに気がついた。このルールはとてもポジティブになれる。彼らがみているのは作品で、相手も含む彼ら自身ではない。単純だか決定的な違いだ。そして、時に踊るように、時にあやとりのように互いを支えているのを感じた。

もう少しイメージを書いてみたい。今回の合わせで5人はいつも円形の輪になって座っていた。ちょうど皆で井戸を囲むような形だ。皆はその「井戸」の中心に向かって演奏する。各々の音はその音の井戸の中で互いに溶け合い、「全体」となって井戸から湧き上がる。その「湧き上がったもの」を皆でみつめ、話し、試していく。プロべとして当たり前の作業なのだが、今回の合わせを通し、私はその作業を初めて視覚化して感じさせてもらった気がした。そのことが私にはとても嬉しかった。そして、いいアンサンブルだな、と思った。

ちなみに今回演奏したテデスコ五重奏(Quintette Op.143)の2楽章には、何かが深い井戸の底から現れ出るような雰囲気のモチーフが出てくる。テデスコはこの作品を書いた10年後、J.R.ヒメネスの詩にあてたギターと朗読のための作品「プラテーロと私」を書いている。私はその中にある「井戸(ポソ)」という詩を思い出した。

 

しつけ糸をたどって

ハーモニカ奏者の大竹英二さんと遠距離共演録音をした。今、動画を詩画家の本間ちひろさんが作ってくれている。

今回の録音では多重録音の手法と「しつけ糸」のアイデアを用いた。

はじめにギターでカウントをとるための刻み(バッキング)伴奏を録音し(仮縫い)、大竹さんにはこの伴奏音源を聴きながらハーモニカラインを録音して頂いた。その後大竹さんから送られてきた音を聴いて、もう一度ギターでいくつかの微調整と余計な刻みを抜いた伴奏を新しく作り直し(本縫い)、最終的には一番最初のギター音源を抜いて完成させた。

3人のメールでのやりとりでも「この音源はあくまで仮縫いです」とか、「しつけ糸としてお考え下さい(→細かいことは気にせず自由に演奏して下さい)」といった言葉を使った。それほど裁縫が得意なわけでもない自分がこんな表現を使うなんて可笑しいな、と思いつつも、この手法で録音し、完成させた。

ところが数日後の夜、あ、と思った。真っ暗な夜の深い紺色の中で、白く縫い付けられたしつけ糸を自分はかつて本当に見たことがあった、ということを思い出したのだ。それは、祖母のしつけ糸だった。

祖母はお着物が作れる人だった。子供のころの浴衣はすべて祖母が仕立ててくれていた。長い竹尺で寸法を測り、まだところどころマチ針のついた着物を何度か着せられたのち、本縫いが終わるとそれまでつけられていた白いしつけ糸が取られる。浴衣の袖の先に付けられた白いしつけ糸がしゅーっと抜き取られると、そこはすでに着物と同じ紺色の「本当の」糸で丁寧に縫いつけられていた。

ああ、あれだったんだ、と思った。あんなにくっきりと覚えていたことを、私はすっかり忘れていた。遠い彼方の記憶は時にイメージとなって自分の中に再び現れるということを聞いたことがある。今回、私は知らないうちに祖母からアイデアをもらっていたんだな、と感じた。

さて、今回録音した曲のタイトルは「Summer Valentine」、大竹さんが作曲された曲だ。98歳まで生きた明治生まれの気丈な祖母が聴いたらなんと言っただろうか。亡くなった人のことは本人にしかわからない。でも、新しいものを決して疎まない人だったから、笑って聴いてくれるかもしれない。

音だけきいたら

スイス建国記念日の音楽のお祭りで演奏することになった。ツーク(Zug)という街の企画で、街中の様々な場所で音楽を演奏してお祝いするらしい。「何を演奏しても良いけれど1曲だけスイスの曲を演奏して欲しい」という条件だったので、スイス国歌を歌とギター用にアレンジすることにした。スイスの国歌にはもともと多声的な楽譜があり、そのまま演奏してもキレイなのだが、今回はせっかくなので「クラシックギターで伴奏するならこう弾くよ」というアレンジにした。ザ・クラシックギターな奏法を入れた「国歌」はオリジナルとは少し毛色が違うが、弾いていて楽しい。

正直自分が外国の国歌を伴奏することになるとは思わなかった。でもこれも何かの縁なので、この国の国歌について少し調べてみることにした。公用語が4つあるスイスでは国歌のメロディは1つだが、歌詞は言語ごとに4バージョンある。つまり、音は同じだがみんな全然違う言葉で歌うのだ。そもそもスイスでは自分たちの国の呼び名でさえ地域ごとに違った言い方をする(スイスSuisseはフランス語圏での呼び名、ドイツ語圏ではシュヴァイツSchweiz、イタリア語圏ではスヴィッツェーラSvizzerra、ロマンシュ語圏ではシュヴィツラSvizra)。なので当然といえば当然なのだろうが、面白いな、と思った。もしかしたらこの国の人たちは歌詞の「言葉」ではなく、メロディの「音」を聴くことで自分たちの国歌だということをお互いに感じ合うのかもしれない。

さて、今回の演奏のために即席でデュオ名が必要になった。二人とも日本人なので日本語の名前にしよう、ということになり、あれこれ言葉を探した。そして、それぞれの単語が現地の人にはどうきこえるのかを知るために、「日本語のわからないスイス人(=夫)」に「音だけ聞いたとき、どのコトバが良いと思う?」ときいてみた。けっこうお洒落なかっこいい言葉もあったのだが、彼が最終的に選んだのは「トモ(Tomo)」と「キノコ(Kinoko)」だった。やっぱりガイジンの感覚はわからないわと思いつつ、名前はDuo Tomoにした。


 1. Augst Feier in der Stadt Zug

https://www.zug-tourismus.ch/de/aktuell/1-august-feier



楽譜をつくる

オンラインで購入できるソロギターアレンジ譜を作った。作曲家とメールを通して校正作業をしながら、ふと、そのむかし音楽出版社で楽譜校正の仕事をさせて頂いた時のことを思いだした。

様々な楽譜を出版するこの会社では、毎回ひとつの楽譜に少なくとも3人の校正者がついていた。

校正者は原稿コピーや仮印刷された楽譜の中の修正すべき箇所に、手書きで赤色の文字(や記号)を書き込んでいく。 楽譜に長い文章で説明を書くのは相手にとって読みにくいだけなので、できるだけ記号や数字だけできちんと意味が伝わるよう書いていく。

初めてこの作業をしたとき、校正をする人たちが専門知識を持っていることはもちろん、みんなとてもわかりやすい「綺麗」な文字を書くことに驚いた。五線譜やTAB譜はこまかく、書き込む数字や音符が数ミリずれただけで正しい情報が次の校正者に伝わらなくなってしまう。だからみんな自然と丁寧に書き込むようになるのだが、ある時TAB譜に書き込まれた赤い数字がはっとするほど綺麗で、思わず観入ってしまった。「校正」というと単に「間違い探しをする人」と思われるかもしれない。でも楽譜に真剣に向き合っている彼女が書いた数字は美しく、ああこれは彼女の楽譜へのリスペクトなんだ、と思った。そして、そうやって何回も、何人もの目を通して作られた楽譜には、出来上がったときどこかソリッドな印象があった。赤い文字は完成したら見えなくなるのだけれど、見えないだけで、ちゃんと楽譜の中でいきているんだよな、と思った。

今、いろんな方法で「楽譜」が手に入る。従来通り紙に印刷されているものもあれば、ネット上からダウンロードできるものもある。媒体はなんであれ、楽譜は音楽を記録する手段である。なんで記録するのだろう。自分のためだろうか。記録しないと消えてしまうからだろうか?いろいろ考えてみたが、結局のところ「楽譜をつくる」のは、その音楽を「いつか自分以外の誰かが弾けるようにのこしておく」ためなんじゃないかな、と思った。

誰がどこで、その楽譜を必要とするのかはわからない。いつまで経っても来ないかもしれないし、ようやく誰かが楽譜を手にとったとき、もしかしたら自分はもうとっくにいなくなっている可能性だってある。それでも作って、いつか誰かが「弾きたい」と思ったときにいつでも弾けるよう、ニュートラルな記号を使ってのこしておく。なんてロマンチックなんだろう、と思った。まるで時空を超えて、みんなでせっせとタイムカプセルを作っているみたいだ。笑っちゃうけれど、でも、それって素敵だな、と思った。

 ソロギターオンライン楽譜
「捨ててよ、安達さん。」

-throw me away, Ms. Adachi-  作曲・侘美秀俊、ソロギターアレンジ・日渡奈那

五線譜(運指付き)https://store.piascore.com/scores/67082

TAB譜 https://store.piascore.com/scores/67103

「捨ててよ、安達さん。」ソロギター・ヴァージョン演奏動画
https://www.youtube.com/watch?v=xjZzqTnq5k0

ほんまなひと

およそクリエイティブな人とは、物事をポジティブに受け、地味な作業にも手間を惜しまず、イメージがカタチになるまであきらめない人のことを言うのではないかと思う。

ほんまちひろという詩人はそういう人だ。この春私が日本に帰れなくなったことを知った彼女から「一緒に朗読と音楽の動画を作ろう」と提案された。

そのとき彼女がなぜ今なのか、について「だってやろうと思えば今までだって作れたんだよ。でも作らなかった。今この状況をきっかけにしなきゃ。」という主旨のことを言った。ああ本当にそうだな、と思った。そして私が答えた時にはすでに彼女の中にはしっかりとしたイメージが出来上がっていた。

遠隔録音について、当初私は版画の多色刷りのように一つの画像を録音してから重ね録りしていく多重録音アプリを使おうと思っていた。しかし彼女は「お互いの息づかいをきいて同時に録音していきたい」と言った。つまり遠隔ライブ録音だ。高音質で遠隔地でも同時録音ができるものを探して色々なツールを試してみたが、残念ながら2020年5月上旬の時点の自分達には見つけられなかった。そこであれこれ考えた末、SNSビデオチャットに繋いだ携帯電話にイヤホンをつけてお互いの音を聴き(ライブ)、同時にその様子をビデオカメラで撮り(画像)、マイクをつないだPCでお互い自分の音をそれぞれ録る(高音質録音)という、技術的に進んでるんだか遅れてるんだかわからないやり方で作っていくことになった。使っているものはデジタルなのだけれど、限りなくアナログなことをしている気分になった。そしてこれが本当に機能するのかもわからなかったけれど、でもまぁ彼女ならなんとかするだろう、という安心感があった。7時間時差のある自分たちがお互いの声と音をきいて一つのものを同時に作ろうとしている、というのは面白く、なんだか嬉しかった。

撮り終えた後の編集も彼女はすごかった。いつのまにそんなことができるようになったのかわからないが、「出来たよー」と完成データが送られてきた。自分自身の経験から考えてもどれだけ大変な作業だったろうと思うのだが、彼女にはどこかそういった作業ですら嬉々としてやってのけてしまっている感がある。

大学時代、彼女と最初に作った絵本は英語で書かれたアルファベットの詩を入れたCD絵本「ABC Book」だったと思う。小さなスタジオでタコの歌に合わせて彼女がおもちゃのハンドベルを楽しそうに鳴らしていたのを思い出した。たぶん、この軽さが大事なんだと思う。手間を手間とも思わない彼女をみて、やっぱりすごいな、と思った。

さて、今回の作品では彼女はもともと絵を担当していたので「絵・本間ちひろ」となっている。ここではせっかくなので彼女の詩画集「いいねこだった」(出版/書肆楽々)より3つ詩を紹介しようと思う。彼女はこの作品で2004年第37回日本児童文学者協会新人賞を受賞している。

 

        ハリネズミ

あいしあうはりねずみ

  きをつける

    きずつけないように

あいしあうはりねずみ

きずつけあってしまう

  きをつけても            

 

          多分無理 

   国際電話で

ふきのとう ふき味噌の

    おいしさ

   説明すること

                         

          平穏主義 

平和というのは難しすぎるかもしれないけど

とにかく、もう少し穏やかに争ってください   

 だって、わたしの未来の恋人が

どこにいるのか わからないんですもの ね

 

本間ちゃん、ありがとう。


「ふたりのたからもの」動画
(文・山本優介 絵・本間ちひろ 西村書店)

朗読&ギター
https://www.youtube.com/watch?v=DStaVwGJ9nc
ギターのみ版
https://www.youtube.com/watch?v=66B3hWctcnk
朗読&ギター(英語字幕付き)
https://www.youtube.com/watch?v=NFBiqqcazqc
ギターのみ版(英語字幕付き)
https://www.youtube.com/watch?v=8GlGO6enrf4

いびつな星座

音楽学校の授業がオンラインに切り替わってから5週間が過ぎ、先日教師たちの意見交換が行われた。その中に「オンラインレッスンでは教師-生徒間の縦のつながりは可能だが、生徒どうしの横のつながりが少なくなっている」という指摘があった。

ギターは基本的に一匹オオカミ的なところがあるから無理に仲良くする必要はないと思うけれど、それでも生徒たちは発表会やアンサンブルを通してお互いのことをなんとなく知っているし、普通の学校も閉鎖して友達にも会うことができない今、何かつながりを感じられるのはいいことかもしれない、と思った。そして唐突だが「Zeig deine Gitarren-Hits(きみのギターヒットを聴かせてくれ)」という企画を思いついた。

生徒に自分の好きな曲を教えてもらい、それを私がまとめてクラス全員が聴けるようにメールで一斉に送るという単純なアイデアだ。このさいジャンルは関係なし、唯一の条件は「曲の中でギターが使われていること」にした。

はじめてみて、これは結構責任重大だぞ、と感じた。子供達が「この曲が好きです」と曲のタイトルを伝えるとき、その表情が一瞬真剣になるのがPCの画面を通してもわかった。

とても大切なもの、そして大切に扱わないと一瞬で壊れてしまうものを託されたような気がして、「ありがとう、大事に聴いてみるね」と伝えた。

「音楽は聴かない」と言う子もいた。じゃあまとめたものを送るよ、と伝え、親へのメールか、彼の携帯どちらに届けたらいい?と訊いたら「自分の携帯がいい」と言った。絶対届けよう、と思った。

さて、星の数ほどあるネット上の音楽動画の中から彼らが持ってきてくれた曲はじつに様々だった。静かなラップがあるかと思えば、おおこんな古い曲聴くのね!と私がびっくりするような曲、女の子パワー全開なポップや洒落たジャズ調、ヘビメタロックまで、確かに全部「ギターが入って」いた。それは私にとってすごく新鮮で、この子の頭の中ではこんな曲が流れていたんだなぁと感動すると同時に、ああ私は全然わかってなかったんだな、と思った。

曲をまとめることに関しても、はじめ「聴きやすいようにカテゴリーに分けてあげよう」とか「コメントつけてあげなきゃ」とか考えていた。でも聴いていくうちに、そういうことじゃないんだ、と気がついた。もともと統一性を求めているわけじゃないし、それをしてしまうと何かが崩れていく。このままで十分だよな、と思った。もちろんレッスンでは曲のコード進行など教えていくことはできるけれど、今は私が野暮なコメントや枠を作るのではなく、ただそのままを聴けるようにして送るのがいちばんのリスペクトである気がした。

昨夜この「ヒット集」作業をすべく並べた曲を通して聴いていくうちに、なんだか泣けてきそうになった。オンラインレッスンではやはり音質等に限界があることを痛感したのも理由のひとつかもしれない。そして何度も聴いていると、ランダムに並べたはずなのにそこにある種の「つながり」を感じ取ろうとしている自分がいることにも気がついた。鋭いもの、鈍い光を放つもの、つなぎ合わせてみたそれは、いびつな星座のようだった。

そして本日(4月29日)、スイス政府は新型コロナウイルスに伴う行動制限措置の段階的緩和を発表、5月11日より小学校の再開と同時に音楽学校が再び校舎で授業をすることが許可された。発表を聞いて、それまで張りつめていた全身の力が抜けていくのを感じた。再び「通常」になったあとどのような状況になっていくのかわからない。でも私たちは次の段階を試していかなければならない。

この音源を早く届けよう。そしてこれは一回限りで充分だ。次に全員に会うときは、本当に会うんだ。

ことばの熱量

スイスで学校閉鎖が行われてからちょうど1週間が経った。

先週金曜日、教室に学長がやって来て「スイス政府が閉鎖を発表した。6時までに全員音楽学校から退出しなければならない」と告げられた。あわてて残りの生徒に連絡を取り、学校を出た。

それから一週間。建物自体は閉鎖したがレッスンは続行することが決まり、具体的な方法は自由に決めてよいとされたので、自分が考えたアイデアと今後の流れを生徒に一斉メールしたあと、一人ずつ生徒(のご両親)に電話をかけていった。

私にとって「電話」はけっこう勇気が要る。相手の顔が見えないし、自分のドイツ語がどれだけ理解されるか不安になる(普段生徒が私を理解してくれているのは、彼らの素晴らしいイマジネーションとギターのおかげだと思っている)。でもこの状況でそんなこと言ってられないのでとにかくかけていった。 「Wie geht es Ihnen?(お元気ですか?)」という普段から使う挨拶の言葉が、今あいさつ以上の意味を持っていることに私も相手の方もなんだかおかしくて笑ってしまった。「いやぁおかげさまで元気ですよ!」「メール読みました。いいアイデアですね」「先生も大変だと思いますが頑張って下さい」と、皆すごくポジティブに対応してくれた。ほんとにちいさな言葉なのだけれど、それぞれに「ことばの熱量」のようなものを感じて、胸が熱くなった。

それからは家でビデオを作ったり、ネットレッスンの準備等で毎日が過ぎていった。ビデオはレベル別に課題曲を提示して演奏、ステップごとに解説したごく短い映像を数本作り、生徒たちに好きな曲を選ぶようメールで送った。同じ空気を共有できない「映像」は、集中して観られる時間が限られている。必要最低限の情報をいかにわかりやすく伝えていくのか、様々な方のビデオを観て勉強させていただいた(←必要に迫られないとやらない自分はこんなことがなかったらずっと勉強しなかったんじゃないかと思う)。あと、映像を観ることで自分自身についても 色々気づかされた(あーまた余計なこと言ってるよ私!とか、もっとドイツ語の発音気をつけなきゃ汗、とか笑)。 ときどき外から見るのって大事だな、と思った。

来週からネットレッスンが始まる。いろいろ限界はあるが、自分が今いる状況での最善策を考えていこうと思う。

春のにがみ

春になると苦いものを食べたくなる。

ふきのとうはにがい。子供の頃、母や祖母や妹と一緒に摘んだつくしも、摘むのは好きだったけれど子どもの私にはやっぱり苦かった。それなのに大人になった今、無性に食べたいと思う。べつに何十個も食べたいわけではない。でもあの苦味が懐かしい。

料理の世界では苦味も使い方次第、量によってはある種の「隠し味」になると考えられているらしい。全体の中での苦味のバランスを上手に扱えるようになると、「にがい」は「美味しい」になるのかもしれない。

この春バーゼルと日本でフランク・マルタンの「ギターのための4つの小品(1933)」を演奏する(Frank Martin (1890-1974) “Quatre pieces breves pour la Guitare“)。 マルタンはスイス人の作曲家で、この作品はそのむかし東京国際ギターコンクールの課題曲にもなっていた。シンプルで調性もあり、決して難しい技術が必要とされるわけではないのに、楽章ごとに確固としたコンセプトがあり、そこから生まれる音楽がおそろしく悪魔的で美しいことに衝撃を受けた。タイトルのとおり4楽章あり、何かにひきのばされていくような12音技法によるメロディからはじまる「プレリュード(Prélude)」、教会旋法(これはリディア・スケール)を使った美しい「アリア (Air)」、当時の時代背景から自ずと推測される「嘆き(Plainte)」、そして最後に悪魔的にすら感じる躍動感を持った楽章「ジーグのように (Comme une Gigue)」で構成されている。ギタリストの中でも好き嫌いがはっきり分かれるこの作品を、何故だかわからないが当時の私は無性に好きになってしまった。同時に自分の知識に限界を感じ、留学したいと考えるようになったのもこの曲あたりからだった。

春にふきのとうが食べたくなるように、長いながい時間を経て再びこの作品を演奏できることが、今の私にはすごく嬉しい。そして、少し苦味のある作品が自然に聴ける、聴きたいと思えるプログラムにするにはどうしたらいいのか、私はずっと考え続けていきたい。

 

 

(春のコンサート情報)※新コロナウイルスの影響により中止となりました。誠に申し訳ございません。 

バーゼル(スイス)

3月26日(木)19:30開演 クライネス・クリンゲンタール博物館ホール

Ensemble „B“ Kammermusik Konzert   詳細

 

日本

4月15日(水)19時開演 杉並公会堂小ホール

アンサンブル・バジリア「吟遊詩人の歌」 詳細

 

お問い合わせ

T&N企画 03-4477-5654 / 070-3871-0755   info@tandn-plan.jp

瞳をひらいて聴く

また通奏低音についてリュートの今村泰典先生にご教授頂いている。この春ヘンデルのドイツアリア「Meine Seele hört im Sehen(私の魂は瞳をひらいて聴く)」(HWV207)という曲 を歌とフルートとギターで演奏するため、通奏低音のリアリゼーションが必要になったからだ。はじめてタイトルを見たとき、なんてすてきな言葉だ、と思った。そしてその曲はさらに素敵だった。

この曲は春の歌だ。大地に溢れるすべてのものが春の訪れを喜び笑っている、そしてその目に見える自然の「ことば」をいま私の心は聴いている、という意味の詩が歌われる。これは是非とも演奏したい、と思った。

今回は歌とフルートが入っているのでリアリゼーションはわりとシンプルになるはずなのだが、それでも何日もかかってようやく完成させ、PCの浄書アプリで清書したデータを先生に添削していただくべくメールでお送りした。きっとまた間違いだらけで赤(ミスのある部分は赤い文字や音符でご指摘頂いている)がいっぱい入って返ってくるんだろうな・・・汗、とか考えていると、ものの数時間で(!)先生は返信して下さった。データを開いて、びっくりした。それは、「白」かった。

7ページぶん(歌もフルートもあるから長くなる)の楽譜に、赤が「2つしか」なかったのだ。一瞬自分の目を疑った。そして、あまりの嬉しさに胸がいっぱいになり(これは自分にとっては今までの中で最高記録だった笑)、なので記念にその「白い楽譜」の写真を撮った。それくらい、嬉しかった。

もちろんこれで作業が終わるわけでは到底ない。いま楽譜が「白い」のは、あくまで「ハーモニーは合っている」というだけのことで、これから細かいディテールについて検討していかなければならない。私はようやくその作業のスタートラインに立っただけだ。それでもやっぱり嬉しかった。

今朝のスイスの気温はマイナス4度だった。外はまだ寒い。ただ、陽射しは明るく気持ち良い。よくわからないけれど、自然というものは見えなくてもずっと何かの準備をしているらしい。私も準備をしなくてはいけない。春が来るのだから。

 

春のコンサート情報 ※新コロナウイルスの影響により中止となりました。誠に申し訳ございません。 

 

3月26日(木)

Ensemble „B“ 室内楽コンサートMuseum Kleines Klingental, Basel

 

4月15日(水)

吉岡次郎室内楽シリーズV 「アンサンブル・バジリア〜吟遊詩人の歌〜」

19時開演、杉並公会堂小ホール

 

お問合せ:03−4477−5654(T&N企画)

10年目のガイジン

ベルン州立音楽学校で教えはじめてから来年で10年になる。自分でもびっくりだ。

この10年、音楽学校を通して実に様々な国のルーツを持つ子どもたちと出会った。スイス、フランス、イギリス、ポルトガルといった西ヨーロッパの国々はもちろん、ロシア、コソボ、アフガニスタン、エリトリア、ブラジル、ペルー、オーストラリア、タイ、ベトナム、韓国、そして日本。彼らは100パーセントAusländer(外国人)であったり、半分だけスイス人だったりした。みんなとりあえずの共通言語であるドイツ語を話し、この国で「ガイジン」の私も彼らとドイツ語で話す。自分がアフガニスタン出身の生徒の父親とサシで口論するとは思ってもみなかったし、ペルー出身の子に南米のクラシックギターのレパートリーを教えることになるとは考えてもみなかったけれど、 レッスンで1対1で向き合ってみるとみんなすごくいい子達だった。それぞれのタイプは違うのだけれど、なんというか皆とても子どもらしいエネルギーを持っている。たまに、おおそういうアプローチでいくか笑!と教えている私の方が教わることもあったりして、笑ってしまう。 そしてここまでくると「国」についてなどどうでもよくなってくる。教えていくうちに「〜人の何々君」という概念は消え、ただの「何々君」になる。私が見ているのは彼らの「国」ではなく、彼ら「自身」だ、という当たり前のことに気付かされる。

そのむかし、私は大学で「異文化交流」「多文化共生」について学んだ。そのとき教授から「相手をすべて理解できるとは思うな。」と言われたことがあった。当時の私には意味がよくわからなかったけれど、今この言葉が自分にとってけっこう役に立っている気がする。音楽学校で子供たちを教えていると、私がレッスンでみているのは彼らのほんの一部でしかないのだ、とつくづく感じる。私が彼らに教えられるのはギターだけで、そのバックグラウンドを知り全て理解することは私にはできない。でも、それでいいんじゃないかと思う。国が同じであろうとなかろうと、相手を全て理解できるなどと思うのは、ある意味「おごり」である気がする。

ときどき「国」ってなんだろう?と思う。手にとったり目で見ることはできないけれど確実にある、不思議なヴェールのようだ。私自身この国に来て以来、ずいぶんこのヴェールにお世話になったり、逆にぐるぐる巻きにされたりした。ごく簡単な日常生活の中でも、この国では私が日本から持ってきた「常識」はそのまま通用することの方が少ない。自分と自分の国が否定されていくような気がして悲しくなったりもしたが、最近ふと、本当はそういうことではないんだ、と思いついた。この国の人たちは別に私や私の国を否定しているわけではない。とりあえずお互いの持っているものが違っていて、でも一緒に生きていくために「じゃあどうしようか?」ときいているだけなのだ。だから私は「私の国の常識」ではなく「私のしたいこと」をできるだけ具体的に相手に説明していかなければならない。面倒くさいけどこの作業をやっていくうちに話がだんだんスムーズになっていった。それに、私が「日本では〜」などと強く言うとき、それは往々にして自分より大きな存在の「国」を盾に、そこにすがりついていくことしかできない自分の弱さを隠そうとしていることが多い。目の前にある問題を自分ではなく「国」や「文化」のせいにするのは簡単だ。でもそれでは何も解決しないし、何も生まれてこない。相手がみているのは私の国やバックグラウンド云々ではなく、今この瞬間に私がとる行動なのだ、と気がついたとき、何かがストンと落ちた気がした。

何の縁があってかスイスという国でガイジンの私からギターを教わることになった生徒へ。あなたはギターというめっちゃ良い楽器を選びました。おめでとう。それについては先生は全力で教えます。いろいろ教えてくれてありがとう。これからもよろしく。

楽譜のかたち

ギターを弾いていると、いろんな「楽譜」に出会う。クラシック音楽で広く使われている五線譜、ポップスやジャズで使われるコードネームとその指板図、アコギあるいはリュートのために数字やアルファベットで書かれたタブラチュア(TAB)、私が知らないだけで、たぶん他にもいろいろあるのだろう。

いろんな楽譜が使われるのはそれぞれにメリットがあるから、ということは言うまでもないが、たまに同じ曲を弾くとき別の種類の「楽譜」に置き換えて演奏してみると、自分の頭の中がそれまでとは違った反応をして、面白い。

例えばダウランドのファンタジアを五線譜で弾くときとタブラチュアで弾くときでは何かが少し違う。タブラチュアはシンプルだ。弦と同じ数だけ引かれたラインに、左手が押さえるフレットの位置がアルファベットで書かれているだけで、シャープもフラットも無い。五線譜と比べるとその情報量はおそろしく「少ない」。ただ、すこーんと抜けているぶん、頭もシンプルになる。長いパッセージを表しているのがちょこんと一列に並んだ文字だということに、はじめは驚いたがしばらくするとなんだか可愛く感じてくる。そして、今まで情報が多すぎて見えなかったものが浮かび上がって来たりする。書かれているのが特定の音ではなく文字なのでカポタストを使った移調にも対応しやすく、なんとなく頭が柔軟になってくる。弦を表したライン上に文字が並んでいるのだから、理論上は右手の撥弦も間違えにくくなる。ある意味気分もおおらかで寛容になる(気がする笑)。そしてもう一度五線譜に戻ったとき「あぁ、そうだったのか」と思う。

生徒に教えるときも、例えばヴィラ・ロボスのプレリュード1番などは部分的にTAB譜で書いてみるとシンプルで取り組みやすい。ブローウェルのシンプルエチュード6番を教えるとき、はじめに右手の動きだけを少し練習しておき、その後あえて楽譜は見せずに各小節ごとの左手の指の位置を指板図にして並べて書いてみる。そうすると、1つ指の位置が変わるだけで世界がガラリと変わる驚きを、実感を伴って理解できていくように感じた。最終的には五線譜に戻って取り組んでいくのだが、でもメリットがあるなら同時に他の手段も使っていいじゃん?と思った。使えるものならなんでも使ってみたらいい。

たぶん、楽譜は地図みたいなものなのだと思う。目的地と手段によって必要な情報は違ってくるし、大抵ベストだと思われる地図で表されているけれど、たまに同じ場所について別のタイプの地図で見てみるのも悪くない。

地図は丸い地球を平面に表した。楽譜は見えない音を記号にした。すごいファンタジーじゃないか。

つなぐとはなつ

オペラで演奏することになった。友人の代役でベルン市民劇場(Stadttheater Bern)にて行われるロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」に2公演だけ出演する。

撥弦楽器であるギターを弾く私にとって、オーケストラはちょっぴり憧れの世界だ。よく「ギターは小さなオーケストラ」と言われる。でもヴァイオリンのように「ふくらんでいく長い音の響き」が出せる楽器が揃うほんとのオーケストラと比べたら、音の長さではかなわない。だから今回オーケストラの中に入って演奏したら、自分はその長い響きに感動するんだろうな、と思っていた。しかし今回実際に私が感動したのはオーケストラの「美しく伸びる音の響き」ではなく、むしろ彼らの「音の切りかた」だった。

初めて歌手とオーケストラのリハーサルで演奏した時、指揮者が曲の中で数か所、オーケストラの音をパッ!ととても短く切ることに驚いた。「なんで?」と思った。確かにそこは歌手が歌の途中で即興的なパッセージ(経過句)を歌う部分で、オーケストラの音が歌を覆ってしまわないよう、ギターのパート譜にも短い和音の後に休符が書かれている。でも正直なところ(そこまで短く切らなくてもいいんじゃないの・・・?)と思ってしまった。自分が演奏している際には不自然にすら感じて、なんとなく消化不良な気持ちのまま、自分が弾かない残りの曲を指揮者を見ながら聴いた。すると、おそろしく明快なことがわかった。 

オーケストラが音を止める部分は、短いけれどカデンツァ的で歌い手にとっては見せ場である。聴いていると再び同じような部分がきた。それまでずっと歌手に寄り添ってきたオーケストラがその音をある意味無情に、相手をつきはなすような「勢いを持って」切った。するとその瞬間、その場に唯一残った歌手の声がオーケストラの全エネルギーを受け止め、まるで解き放たれた一羽の鳥のように一気に空間を突き抜けたのだ。愕然とした。それは私が考えていた「歌を支えようとする」音の終え方より、相手の本当の魅力を際立たせるためには明らかに効果のある方法だった。「音が飛ぶ」ってこういうことなんだな、と思った。オーケストラの勢いを受けた歌手の声が突然生み出された無音の空間に真っ直ぐに響いた。同じ歌が、伴奏者の音の切り方次第でこんなに美しく感じられることに、脱帽した。

本来ギターを弾く自分は、勢いよく切る音のカッコ良さや、そのエネルギーが歌い手を支えることなどは当たり前のようにわかっているつもりだった。でも今回のオーケストラの強烈なそれを聴いて、なんというか、自分自身がぽこーんと放たれたような気分になった。

長い長いリハーサルが終わった帰り際、オーケストラのメンバーの一人が私を見てひと言、“Brava.“と言った。正直自分の演奏の何がBravaだったのかわからない。でも彼が呟くように言ってくれたこの言葉が嘘にならないよう、私は私の楽器で出来ることを、最大限やっていこうと思った。

きのこと通奏低音

スイスの秋はキノコの季節だ。森にたくさんのキノコが生える。森に一歩足を踏み入れる。はじめキノコは見えない。目を凝らしていると少しずつ見えてくる。一つひとつ見つけていくうちに、森じゅうにキノコがいることに気づかされる。図鑑を手に確実に食べられそうなものだけ採り、家に帰って調理する。ソテーにしたり、ポタージュスープにしたり、炒めものなどにして食べる。とても美味しい。

キノコは不思議な生き物だ。姿は見えなくてもその菌糸は森の地面全体に張りめぐらされており、ある条件が揃うと「キノコ」としてぽこっと地上に姿を現すらしい。そう考えると、私たちが「森に入る」ということは、「きのこの中に入る」あるいは「きのこの上に立つ」ことでもある、と言えるかもしれない。

いま、スイス在住でストラスブール音楽院・フランクフルト音楽大学で教鞭をとられたリュート奏者今村泰典先生に通奏低音を習っている。通奏低音とは主にバロック時代、メロディとバス音(と数字)のみが書かれている楽譜から伴奏者が自分で相応しい和声を見つけだし、それらの音を繋げて独自の伴奏を作り出し実際に演奏していく(リアリゼーション)手法で、メロディを美しく豊かに支えるために不可欠な技術である。私は以前今村先生がカウンターテナーのMaarten Engeltjes氏を伴奏されているCDを聴き、その中にあったパーセルの伴奏に「薔薇」や「蛇」を連想するモチーフが織り込まれていることに感動し、この技術を学びたい、と強く思った。ちょうどこの11月歌とギターでパーセルを演奏するので、そのリアリゼーションについて先生にご指導頂くことにした。PCで楽譜を書き、そのデータをメールで送ってチェックして頂くやりとりが続くので、冗談まじりに「通奏低音の通信教育」と呼んでいる。

まず3段の譜を作る。一番上にト音記号で旋律を書き、一番下にはヘ音記号でもともと楽譜に書かれてあるバスラインを書き、その間にハ音記号でリアリゼーションを書き込んでいく。「ギターの実音にはハ音記号が適切ですからリアリゼーションはハ音記号で書いて下さいね」と言われた時、「マジですか汗」と思ったが、不思議なものでこれは書いていくうちにだんだん慣れる。

はじめ低音に書かれた「数字」を読むのが面倒で、「コードネームだったらわかるのに」と思った。なので先生に内緒で楽譜にコードネームを書き込んでみた。確かにハーモニーはすぐにわかったのだが、書かれたコードネームはオンコードのオンパレードになり、ごちゃごちゃして明らかに読みづらかった。しばらく眺めて、「・・・やっぱり数字でいこう」と思い直した。

通奏低音の基本はバス音の上に適切な和音をのせていくことから始まる。一番低い音から和音が生えてくるというのは、なんだかキノコみたいで面白い。そこからメロディのじゃまをせず素敵だと思った音を繋いで対旋律を作っていく。ただ難しいのは、正しい和音の音であっても前後との関係によって禁止される進行があることだ。

先生に、「こんなの見つけました!」と提示する。するとあっさり「あ、それ禁則ね」と言われる。「なんでこれが禁則なんだ?」と思うのだが、でも確かに実際に弾いてみるとどこか違和感があることに気がつく。なんというか、「綺麗でない」のだ。「禁則」と書くと縛られている感があるが、それをやるとあんまり綺麗じゃないですよ、という、長年にわたる伴奏者達の経験から生まれたアドバイスなのだろうな、と思った。キノコだって、なんでも食べられるわけではない。

たくさんの禁則にぶつかりながら、ふと、先生は一体どのようにしてリアリゼーションを作られていくのだろう、と思った。先日ご自宅におじゃましたとき、先生はしばらく楽譜を眺められた後「・・・こんな考え方もありますよ」とパソコンでカタカタと音符を書いていかれた。1小節ごと、1音入れるごとにふっと立ち止まって前後の音との流れをみる。その様子は、変なたとえだが私にはキノコ採りのように思えた。森の中に入って、一歩ずつ足を地面につけるたびに周りを見る。次の一歩を進むと、それまで見えていた角度が変わる。同じ風景が違ったものになる。ゆっくりあたりを見まわして、また一歩進めてみる。ずっとそこにいたのにさっきまで見つけられなかったキノコが、そこに立っていたことに気がついてびっくりする。もう一度後戻りしてみる。焦ってただ直進していたときには見えないものが見えてきて、どの可能性を取るかじっくりと考えて進路を改めていく。先生の作業を拝見して、私はそんなイメージを持った。そしてこの作業をごく自然に、流れるようにやってのけてしまう今村先生に深く感動した。

通奏低音は永遠に終わりのない森のようにも感じるが、なんだか楽しい。こんなこと書いたら先生は「全然違いますよ」とお笑いになるかもしれない。あくまで、今の自分の段階ではそう感じられるのだと思う。ずいぶんと深い森に入ってしまった気がするが、もう少し、この素敵な森をさまよってみたいと思った。

 

ナイーブな音楽で

来月、2人のスイス人作曲家による、ギタートリオのための作品を弾く。ひとつはベアート・フューラー(Beat Furrer)という人の「...y una canción deseperada (...そしてひとつの絶望の歌)(1986)」という作品で、このタイトルはチリの詩人パブロ・ネルーダの詩集「20の愛の詩と1つの絶望の歌」からとられている。もうひとつはアルフレッド・シュヴァイツァー(Alfred Schweizer)という人の「Das Jahr in naiver Musik(ナイーブな音楽でつづる一年)(1989)」というシリーズ作品で、その名の通り月の名前があてられた作品が12曲あり、私が弾くのは「März(3月)」。2曲とも私は知らなかったのだけれど、今回の企画者から「とてもいい曲なんだよ」というメールをもらった。そうなんだ、じゃあやってみよう、と思いOKした。

「そしてひとつの絶望の歌」は3人それぞれ四分音などを使い別々のチューニングで演奏する。ハーモニクスがたくさん出てきて、「3フレットから6ミリ右」とか「2フレットから5ミリ左」を押さえて出すよう指示されている。なんだか深海魚になったみたいな気になる曲だな、と思った。実際に合わせてみると違和感なく聴こえ、そして妙にクセになる曲だった。ちなみにタイトルのネルーダの詩については言うまでもないことなのだろうが、ネット上でこの詩集の15番目の詩(Poem15)の日本語訳を読んだ時、あまりの美しさに呆然としてしまった(ああでも私が弾くのは絶望の歌のほうだから、と自分に言い聞かせ、ようやく我に返った)。そして、自分がこの曲に対してイメージしていたものが全然違っていたことに気づかされた。

「3月」はミニマルミュージックの手法を使っている。16分音符の細かなモチーフが繰り返されながら少しずつ変化していく。はじめてこのモチーフを弾いたとき、「あ、綺麗だ」と思った。なんというか、さざ波のようだった。この作品はギター3台のための曲だが、楽譜は一つしかない。見開き4ページのスコアには左側に和音を含んだモチーフ、中央2ページに16分音符のミニマルなモチーフのグループ、右側に息の長いメロディ(歌)のモチーフが5種類ずつ用意されていて、演奏者はそれぞれ好きな場所から入り、別のモチーフへと移動して行く。どこをどう通って弾くか、演奏家同士あらかじめ約束しては「いけない」。演奏家に託されたこの部分的な「あそび」はチャーミングかつスリルを伴う。この曲はまだ合わせていないのでどんな全体になるのかわからないが、毎回自分で「さて、今日はどこに行こうかな」と考えるのは楽しい。そして何より和声が綺麗だ。

二つの作品のタイプは全然違うが、どちらも弾いていくにつれて「こういうのも、ありだよね」という気分にさせられる。いろんな考えがあるよね、と気付かされる。自分一人で想像できることって、たぶんどこかに限界がある。だから時々その境界線をぱかっと外してくれるものに出会えるのは、もしかしたらとてもありがたいことなのかもしれない。

リロンちゃん

理論の本が好きだ。

一番好きなのは『ポピュラー音楽のための基礎理論&問題集〜新音楽理論ワークブック』(北川祐・編著、株式会社リットーミュージック)で、そのむかし江部賢一先生に「ポピュラー理論について学びたいんです」と言ったとき「この本を買いなさい」と勧めていただいた。1994年に初版が発売されてからロングセラーとして愛されてきた本だそうで、私が持っているものは2000年に発刊された第2版(上下2冊)。基本的な楽典から最終的には教会旋法(チャーチモード)を含む「コード・スケールの考え方」が学べる。簡潔かつ明解な解説で、各テーマの終わりに出てくる問題のページが素晴らしい。ストイックなまでにひたすら音符やコードネームを書き込んでいくのだが、自分で書いていくうちに、だんだん意味やパターンが分かってくるようにできている。また、どんなにややこしいテーマでも問題のページは片面1ページのみ、そしてページをぱっとめくるとすぐに答えが確認できるのも嬉しい。しかも時々ギタリスト用の問題も出てくる(←コードを「記譜音を最上声部として1〜4弦を使ったフォームで指板上に構成し、その構成音を音符で記入しなさい」とか)。スケールの指板図も入っている。答えをちゃんと書き込めるスペースが用意されているので無理なく書き込めるし、書き込んだ後は「自分はここまでやったぞ感」がけっこう出てくる。長いコードネームや教会旋法のしくみがわかった時、嬉しさのあまり大声で叫んで走りたくなった。

この本はワークブックだったが、読み物もいろいろある。古くからの知人でギターソロ曲も書いてくれた作曲家・侘美秀俊氏はなんとマンガで音楽理論について説明している。『マンガでわかる!音楽理論』(侘美秀俊・監修、坂本輝弥・マンガ、株式会社リットーミュージック)という本で、保育士を目指す女子大生「リロンちゃん」と、自称作・編曲家の「センセー」とのお話でストーリーが進められていく。完全8度を転回すると1度になる、ということに気づいたリロンちゃんに対するセンセーのセリフがすごい。「ロマンチックだろ?オクターブ中最も離れていた音たちが転回によりすぐ近くに!!遠いようで近いまるで君と君の友人のようではないか!!(本文より引用)」その後センセーは速攻リロンちゃんにツッコミを入れられてしまうのだが、言いたいことの意味はすごくわかる。そして、たとえがどうであれ理論を熱く語れるっていいなぁと思った。彼は他にも様々な理論書を執筆していて、読みやすい。ちなみに表紙のイラストでリロンちゃんが弾いている楽器はギターだ。

本ではないが、理論を深く理解し和声にいのちを与え、音を生きもののように扱える人といえば、私にとってはやはりギリア先生だ。作品の中にある一つひとつの音が劇場のように役割を持って配置され、生き生きと「事件」を起こしていく。時に大げさな表現で生徒に語るが、きちんと理論に基づいているので説得力がある。「いいかナナ、この曲では様々な音がおまえを振り落そうと襲いかかってくる。だがお前はこの核の音にしっかりつかまって進むんだ。振り落とされるんじゃないぞ!」と言われたことがある。和声進行が複雑に変化していくからどの音に重きを置いて、どうやって他の音とバランスをとるべきか、という話だったのだが、なんだか「人生みたいだな」と思った。音楽理論から学べることは、理論にとどまらない。

奥の深い音楽理論の世界で、私が知っていることはまだまだほんの一部だ。だからこれからもいろんな理論の本を読みたい。そしてこのドキドキワクワクな世界を自分なりの言葉で、生徒たちに伝えていきたい。 

侘美秀俊氏のその他の著書
https://www.amazon.co.jp/l/B004LUS0HK?_encoding=UTF8&redirectedFromKindleDbs=true&rfkd=1&shoppingPortalEnabled=true

La Guitarra Callada(静寂のギター)

おとといステファノ・グロンドーナ氏に会った。ブルクドルフというスイスの街で朝の10時半からコンサートがあり、早起きして行った。十数年ぶりに氏の演奏を聴いて感じたことは、彼の演奏が素敵なのはその特殊な爪の形がどうというよりも、一つひとつの音の響きが自分に帰ってくるのを待っていられる人だからなんじゃないかな、ということだった。たとえそこが教会のようには響かない会場であっても、それが「響く」ことをきちんと解っていて、それが自分に返ってきたときのバランスに合わせて次の音を出す。だからとても自然で、聴いていて気持ち良い。素晴らしい演奏だった。プログラムにはフロベルガー、スカルラッティ、グラナドス、そして武満徹の「すべては薄明のなかで」が入っていた。

武満の演奏が終わった時、一番前に座っていたおばあさんが隣のおばあさんに「へんてこな曲ね」と言った。決して意地悪で言ったのではなく、彼女は素直に自分の感想をとなりにいるお友達に伝えたかったのだと思う。だからないしょ話のようにできるだけ小さな声で喋ろうとしたのだけれど、息のたくさん入ったその声は会場中に聞こえてしまった。一瞬どきんとした。会場内で日本人は私一人だったこともあるのかもしれないが、とても好きな曲だったので、胸がぎゅっとするのを感じた。すると、私のとなりにいたオランダ人ギタリストがこれまた会場中にきこえる大きな声で「いや、タケミツは素晴らしいよ!」と言った。そして、起こったのはそれだけだった。私には、パンチパーマで大きな体の彼が普段より大きく感じたとともに、ああ、ここは違う意見を持った人が共存できるところなんだな、と思った。なんだか、すごく印象的だった。外から聞こえる鳥のさえずりとギターの音色が気持ちよかった。曲と曲の間で、グロンドーナ氏はにっこりと笑っていた。

終演後あいさつに行くと、氏は「I remember you!」と言った。すごい記憶力だな、と思うとともに、素直に嬉しかった。

翌日購入したCDをイヤホンで聴いた。“La Guitarra Callada(静寂のギター)“というタイトルで、中の文章も素敵だった。私はモンポウの「プレリュードVI」が一番好きだと思った。CDの、一人で何度でも聴ける贅沢と、空間全体がつくる一度かぎりの生演奏。どちらも素敵だと思った。そして、ほどよく皺の入った氏の写真を眺めながら、歳をとるってそんなに悪いことじゃないな、と思った。

十数年ぶりに会うことのできた氏と、その氏を通して会えた人たち。心から感謝したい。

ながい話

どうもギタリストは「好きになったらなんでも自分の楽器で弾いてみたくなる」傾向があるようだ。

「これをギターで弾いちゃうのかー!?」と思うような作品も、弾いてしまう。そこには彼、彼女の作品に対する並々ならぬ愛があり、「そうきたか!」と思わず膝をポンと叩きたくなる絶妙なアイデアに脱帽、そして感動する。

この傾向は今に始まったことではなく、昔からたくさんのギタリストが行ってきた。たぶん、行わずにはいられなかったのだろう。

そして、そういった作品も聴いて、新たにインスピレーションを受けた作曲家が今度はギターのための作品を書いてくれるようになった。

だから今、クラシックギターのレパートリーは幅広く、豊かだ。

オリジナルがギターのために書かれていない作品をあえてギターで弾く、とはどういうことだろうか?単純なことだが、まず、好きじゃなかったら弾かない。その作品を真剣に愛しているからこそ、取り組むのではないだろうか。

また、ひとつ興味深い話を聞かせてもらったことがある。以前現代の作曲家の方々が集まる会に参加させて頂いたことがあった。その中で一人の作曲家の方が、「ギターは(作曲家にとって)敷居の高い楽器でもあるんですよ」と語られた。どういうことかと言うと、ギターはこれだけ世間に広まっている楽器であり、その音に対するイメージは容易に出来るが、いざ作曲となると、6本の弦を19フレット(あるいはそれ以上)まで使えて、弦ごとのチューニングも変更可能であり、運指や特殊奏法など「実際に自身がギターを弾けないと書けない」要素が他の楽器の作品を書く場合と比べて多い、ということらしかった。

これは大変なことだと思った。ギタリストも作曲家も絶対にお互い助け合わなくちゃ!と思った。もし作曲家の方の頭の中で鳴っている音がギターの音であるのなら、ギタリストとしてはそれだけでものすごく嬉しい。だから「こんなことを考えているんだけど」と言われたら、ギタリストは必死に考えて、「こんな可能性もありますよ!」とアイデアを渡すと思う。

ギターという楽器の可能性を本気で信じている人達の、地道で笑っちゃうくらいひたむきな取り組みは、これからも続いていくのだと思う。そして私は、その長い歴史の一部でありたいと思う。

大きな木

来月母校のゼミで講義をします。私が学んだのは「早稲田大学教育学部教育学科社会教育専修」というところでした。長い名前ですが、ざっくり言うと「学校以外の教育」について考える専修で、「生涯学習」や「多文化教育」といったテーマの、私はほんの一部を学びました。不思議なもので大学を卒業してからの今の方が、このテーマについて考えることが多くなりました。

講義ではスイス・ベルン州立音楽学校のJEKI(イェキ)というプロジェクトについて紹介します。社会的に不利な環境にある子供たちを音楽のレッスンを通してインテグレーションさせていくプロジェクトで、これに関しては音楽学校が制作した紹介ビデオや、5年間にわたりベルン大学がその効果を調査した研究結果も出ています。プロジェクト全体を見渡すにはこの資料で十分なのですが、でも今回日本でこれらを紹介しただけでは何かが足りない気がしました。「外国で成功したプロジェクト」は、そのままのかたちでは他の国には導入できません。「国が違う」ということは長年培ってきたシステムも違い、そこで暮らしている人々のメンタリティもニーズも違います。一つのプロジェクトをみて、その中で良いと思ったアイデアを、自分たちが受け入れられるかたちに作り変えていく作業が必要になります。

なので今回お話させていただく内容は、プロジェクトの概要と、実際に自分がプロジェクトに関わるようになって感じたこと、そして全体ではなく、ここの一部分のこの要素はもしかしたら日本でも活かせるんじゃないか?といった、なんとも個人的で部分的なものです。講義というには至らない内容かもしれませんが、今の自分にできる範囲で紹介させていただこうと思っています。

写真の絵は平山郁夫「熊野路・古道」のレプリカ、数年前大学でお世話になった方から戴きました。私は学生時代キャンパスツアーガイドをしていたので、大学図書館にあるこの巨大な絵の下で、ツアーにいらした方にこの絵についてお話させて頂いていました。とても好きな絵だったのですが、その地肌はつるつるしていたのか、それともざらざらだったのかが、今どうしても思い出せません。森は全体を見なくてはいけないそうですが、来月大学に行ったら、遠くからではなく、ものすごく近くまで行って、レプリカでは見えないその地肌を、しっかり見てこようと思います。

 

トリ ヲ ハナツ

世田谷美術館での公演「かごの中の鳥」のチケット予約が開始した。ギターとヴァイオリン、そしてダンスによるプロジェクトで、「美術館」という「まもられていると同時にとらわれている空間」に音楽と踊りで空気の振動を与え、一瞬「鳥」を解放する、というコンセプトだ。今回の公演では同美術館で並行して造形ワークショップが行われる。「トリヲハナツ」というタイトルのこのワークショップ、はじめは「鳥かご作ろう」というタイトルだった(「雪だるまつくろう〜」みたいで楽しそうじゃん?とか思って提案してみた)。でも、今回ご一緒するダンサーの上村なおかさんと、ワークショップを担当されるNPO法人「まなびとくらし」代表・内野徹さんとの対談を通し、私が作りたいのは「カゴ」ではなく、実は「トリ」の方だったんだ、ということに気づかされた。「お三方が描く世界と別の次元で並行する世界のトリを作れたらいいなーと思っています。(内野徹氏コメント)」

「別の次元で並行する世界」って、いい言葉だな、と思った。クラシックギターはひとりで演奏できてしまう楽器である。それはそれでとても素敵なことなのだけれど、ときどき別の世界のそれぞれ独立した活動をしている人たちと共同作業ができるのはやっぱり嬉しい。知らない世界を見せてもらうのは勉強になるし、ワクワクする。

考えてみたらギターって鳥の巣箱みたいなカタチだ。外から一番見える表面板そのものと、一番見えない表面板の裏に、楽器の音色を左右する最大の秘密が隠されているギター。4月、私はこの箱からどんな鳥を放とうか。


「かごの中の鳥」公演詳細(3回公演)
4月20日(土)18:00
4月21日(日)13:00
4月21日(日)16:00

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev00890

公演チケット予約:オンライン予約(https://www.quartet-online.net/ticket/nightshade)または世田谷美術館03-3415-6011 (10:00-18:00月曜休。ただし月曜日が祝休日の場合は翌火曜日休)にてお電話でもご予約頂けます。

 

「トリヲハナツ」ワークショップ詳細

https://www.setagayaartmuseum.or.jp/event/detail.php?id=ev00891&fbclid=IwAR2SlTuT24g4z8GRPEa804O...

ワークショップ申し込み先:nightshadeconnect@gmail.com または世田谷美術館03-3415-6011にてお電話でもお申し込み頂けます。

Go! Go! GUITAR

『Go! Go! Guitar』というギター少年&少女のための月刊誌が休刊になる。株式会社ヤマハミュージックメディアから20年間にわたり出版されてきたアコギ(アコースティックギター)&エレキ初心者向けの雑誌で、この雑誌が創刊された当時、ちょうど私はこの会社にバイトとして拾ってもらい、J-Popの耳コピなどの仕事をしながら採譜の仕方やコード進行その他数多くのことを学ばせて頂き、それはそれはお世話になっていた。この雑誌が休刊になるのは寂しい。

『Go! Go! GUITAR』2代目&5代目編集長として12年間この雑誌と関わってきたステキ女性はやしあつこさんの言葉を以下引用する。「〜でも、楽器を世界にむけて作って売ってるYという会社ですし、絶対に入門者向けの媒体が持つ使命があるはず!と信じてしつこく『Go! Go! GUITAR』という生き物をなんらかのスタイルで蘇生させられるようにチマチマこつこつやっていきます。(彼女のFB投稿より)」

人生何がどうなってギター、そしてクラシックギターにたどり着くかわからない。バーゼル音楽院に留学して入ったオスカー・ギリアクラスのギタリスト仲間達と「なんでクラシックギターを始めたか?」という話になったことがあるが、「子供の頃エレキギターがやりたい、って親に言ったら『まずはクラシックギターから始めなさい』って言われて、気がついたらそのままになっちゃったんだ。あっはっは!」と笑いながら語るギタリスト男子は結構多かった。結局みんなジャンルに関係なくギターが好きになっちゃったのね笑、と思うと同時に、この人たちがもしはじめにエレキとか他のジャンルのギターに魅力を感じていなかったら、いまこの素晴らしいクラシックギタリスト達は存在しなかったんだな、とも思った。

クラシックギターもフラメンコギターもアコギもエレキも、決してジャンルごとにバラバラに生きているわけではなく、お互いにちょっとずつ影響しあっている気がする。クラシックギター作品の中にもエレキの要素は入ってくるし、エレキギターでクラシックギターのレパートリーから速いフレーズを弾くことがカッコいいと思われることだってある。お互いの垣根が低い、というのはギターの強みかもしれない。演奏している人自身が他ジャンルに寛容なのは、ギターが発展していくなかでずいぶん大事なことだったんじゃないかな、と思う。そう思うと、近い将来「ギターを始めたのは『Go! Go! GUITAR』を手にしたのがきっかけで」なんて言うクラシックギタリストが現れても、そんなに違和感ないかもしれない。

何事もきっかけがなくちゃ始まらない。静かにアツい未来のギタリストのためにも、「入門者向けの媒体が持つ使命」を持って再びこの「生き物」が蘇ることを心から祈っています。

https://www.ymm.co.jp/magazine/guitar/

小さな世界

ベルン州立音楽学校のギター講師は多国籍だ。クラシックギタリストは8名いて、ドイツ語圏スイス出身者が1名、フランス語圏スイス出身者が2名、イタリア人、ペルー人、レバノン人、チェコ人、そして私が日本人で1名(ちなみに音楽学校全体では現在136名の講師が働いており、アジア人は私も含め5人いる)。毎回ゼメスターのはじめにギタークラス講師だけの会議があり、それぞれが対等な立場で意見を出し合う。 そこでは年齢も、性別も国籍も関係ない。お互いをリスペクトしながら相手と異なる意見でも臆することなく言うことができるこの環境を、とても「大人だな」と思った。世界は広くて、一つじゃない。全然「同じ」じゃない。たった8名のこんな小さな世界でも、一人ひとりのバックグラウンドはまるで違う。そういうとき、この「違う人」たちが「対等な立場で話せる環境」がとても大切な気がする。そしてこの一定のニュートラルな環境がうまく作られると、一人で考えていたときよりずっと面白いアイデアが生まれる気がする。今月ギタークラス合同で “VielsAitig“ というコンサートを行う。Vielseitig(多様な)とSaite(弦)という2つの単語をかけ合わせたタイトルで、イタリア出身の同僚が考えた言葉。新しいタイトルの合同プロジェクト、素敵なものにしていきたい。
http://www.konsibern.ch/veranstaltungen/veranstaltungskalender/

とまり木コース

「大人向けの講座を作らない?」と音楽学校のセクレタリーにきかれ「Neues Leben für die Gitarre!」という講座を作った。「もう一度ギターに命を吹き込もう!」みたいな意味で、昔ギターを習った、あるいは弾いたことがあり、何らかの理由でやめたけれど、もう一度ギターを弾いてみたい、という人を対象にしている。3〜5人のグループで回数は4、5回。ジャンルの違った2つの作品を提示し、それぞれができることを選んで一緒に演奏する。途中ごく簡単なテクニック練習も含める。このコースの目的はアンサンブルグループを作ることではない。回数も5回までとし、それ以降は次のコースを続けてもいいが同じ作品は扱わない。「ギターをもう一度やってみようかな?」と思った人が限られた時間の中、小さなグループの中で弾いてみて、「じゃあ(次は)どうしたい?」と考えるきっかけに(つまり「とまり木」のような存在として)使ってくれれば良いと思う。まだ試行錯誤だが、自分の出来る限りサポートしていこうと思っている。だって、もう一度戻ってくる、っていうことは、ギターが本当に好きだってことでしょう?
http://www.konsibern.ch/angebot/kurse/musikkurse-fuer-erwachsene/

ウサギのFridolin(フリドリン)

スイス・ドイツ語圏でよく使われている子供向けのギター教本に「Fridolin」という本がある。対象年齢は6才〜11才くらいまで、はじめはやさしい童謡が中心だが、教えていく内容が段階的で構成がしっかりしている(メロディと伴奏がどちらも単旋律で書かれた小さな曲がたくさんあり、ここでアポヤンドとアルアイレを学んだ後、2声の練習、第2ポジションでの演奏、簡単なコード伴奏へと入っていく)。ところどころに出てくる基礎的な音楽用語の解説もきちんとしていてわかりやすい。2巻目に入るとソル・カルリなどクラシックレパートリーの美しい小品が入ってくる。同時にポップ調な作品もあるので子供たちはどちらも抵抗なく習得していく。直結でプロの道に行く子用ではないかもしれない。でも、「ギターって楽しいね」と思える子供たちの層を広げるには、こういった教材にも意味があるように感じる。
https://www.guitarwebshop.com/navi.php?qs=fridolin

Jeki

私がギターを教えているベルン州立音楽学校(Musikschule Konservatorium Bern)では、通常レッスンの他にJekiというプロジェクトが行われている。Jekiとは「Jedem Kind ein Instrument(一人ひとりの子供たちに楽器を)」という意味。ベルン市内の特定の地域の小学3・4年生を対象にしたプロジェクトで、1・2年生で歌を習ったあと、こども達は2年間、自分で選んだ楽器のレッスンを2人ないし3人という少人数グループで音楽学校の講師から受けることができる。財団の支援があり楽器は無償で貸し出される。

7年前から始められたこのプロジェクトに、今学期から私も加わることになった。新しく来た男の子に「どこから来たの?」と聞いたら、「お父さんとお母さんはエリトリアから来ました。でも僕の言葉はドイツ語です」と言った。「エリトリア出身のギタリスト」と聞いて何の違和感もなくなるまで、このプロジェクトが続けば良いと思った。

Jeki Bern紹介映像(英語字幕付):https://www.youtube.com/watch?v=3WfrlGvi4e0

ギターができるところ

夫のことを書きます(月1でブログ更新する、って宣言したのに書くことが思いつかないんだよ、と言ったら「じゃ自分のこと書いたら?」と提案して頂きました・・汗)。Christoph Borterはスイス人ギタリストで(2000年ベルギー「ギターの春2000」優勝)、ギターも製作します。作業部屋の壁にきちんと並べられた道具を眺めていると、ああ明らかに自分とは性格が違うな、と思います。一つひとつの道具を駆使して、たまに気が遠くなるような作業もして出来上がるギターを見るのは(側から見る分には気楽なので)ワクワクします。今年6月、スイスのBulleでスイス人ギター製作家による複数のギターの弾き比べコンサートがありました。彼のギターが一番良いと思いました。http://www.christophborter.ch/

ガット弦

IMG_2281JPG音楽学校の同僚ギタリストで素晴らしいウード奏者のMahmoud Trukmani氏が、ガット弦の心得を教えてくれました。「いいかナナ、はじめの一週間は幻滅するぞ。爪がボロボロになるし指の皮が厚くなるまで痛い。弾き方も変えなきゃダメだ。セット弦の中でたいてい1、2本は使えない。で、一ヶ月後にようやく自分はガット弦が好きか嫌いかがわかるんだ」とのこと。なんか、使う前から緊張しますが笑、自分の持っているトーレスモデルのギターChristopher Deanに張りました。ヴァイオリンの鉄弦をガット弦に張り替えた時のようなセンセーショナルな体験は出来ないかもしれないけれど、とりあえず一ヶ月試します。