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Götti(ゴッティ)

音楽学校で研修中のギター講師の面倒をみることになった。スイスの音楽学校講師の採用試験は、まず新聞や学校のホームページで募集が告知され、書類選考で選ばれた数人が面接試験に招待される。そこでは彼らと面識のない、レベルの異なる二人の生徒が用意され、実際にレッスンを行う。審査員は学長やその楽器を音楽学校で教えている講師のほか、他の学校から呼ばれた専門家など全員で5人ほどのグループで構成されていて、レッスン終了後に質疑応答があり、それが終わると試験官の前でソロ演奏を披露する。

以上が通常の流れだが、今回は少し特殊なケースでこれらに加え1年の研修期間が与えられ、その後再び試験が行われることになった。そして、私はこの研修中のギター講師候補者の一人の世話をする役になった。この役のことを音楽学校ではGötti(ゴッティ)と呼んでいる。本来Göttiとはスイスドイツ語で、両親に何かあったとき遺された子を世話する後見人のことを指す。この習慣は今となってはシンボリックでしかないものの現在も続いており、子供が生まれると男性女性それぞれ一人ずつ知り合いから選んでなってもらえるようお願いする。ドイツ語ではPatenelternと言われ、英語ではゴッドファーザーになる。何はともあれ今回、私は初めてGöttiになった。

私が担当するのはイタリア語圏出身のスイス人だ。現在フランス語圏に住んでおり、伊・仏・独3ヶ国語でレッスンができる。

今月、今後の流れを説明するため学校に会いに行った。簡単な挨拶をした後、ふと「タバコ吸っていいかな?」と訊かれた。一瞬身構えた。おおうここはやっぱり日本ぢゃないぜと思うと同時に、何で私が緊張しなきゃいけないんだよ笑!と自分で自分をツッコミたくなった。そして、これから自分が世話をしなくちゃいけないこの青年はタバコが吸える年齢なんだよなぁ、と改めて思った。話してみると気さくな人で、自分で見つけてきたPCで出来る音名探しゲームを私に見せながら「今日レッスンで試してみるんだ。うまくいったら教えるね。」と楽しそうに言った。一体どっちが教える方だよ笑、と思いながらも「ありがとう、ぜひ教えてね」と伝えた。

実際のレッスンも見学した。自然体で雰囲気があたたかく、生徒たちからきちんと信頼されているのが感じられた。たくさんの良いアイデアを取り入れた、全体としてとても良いレッスンだった。見学しながら、「素」な人っていいよな、と思った。生徒たちから信頼されているのは、もちろん技術的な要素もたくさんあるのだが、基本彼が素だ、ということも大きいのではないだろうか、と感じた。誤解を恐れずに言うと、私は「隠さない先生」が好きだ。自分のできないこと、苦手なことを隠して無理に「先生」になろうとしても硬直するだけだし、かくしたところでどっちにしろボロが出る。それを生徒は簡単に見破る。自分が恥をかくことを怖いと思っている間は相手に何かを教えることはできないのではないかと思う。だから、その覚悟ができている人は、一緒にいてすごいなぁと感じる。もちろん人間何百年も生きてはいられないのだから、知っていることは次の世代に伝えておいたほうがいい。そう思った時、そうか今回自分はこれが怖かったんだな、と気がついた。生徒ほど年齢が遠くない、いずれ同僚になるかもしれない相手に、自分がGöttiとして伝えることが何の役にも立たなくて自分が恥をかくのが怖かったんだ、とわかった。本当には相手のことを考えていなかったんだな、と気づいた時、自分のなかで何かがすとんと収まるのを感じた。自分にわかることは全部伝えよう、と思った。

今の彼にとって何が必要なのかを観察すべく、レッスン中の出来事を細かくメモしていくと、確かにいくつか指摘すべき点があることにも気がついた。それはかつて私自身がしていたミスとも似ていた。事象と行動と結果、この点についてはこういうアプローチもあるよね、という具体的な改善策を箇条書きにし、良いなと思ったことも書き出してから、レッスン後、ポイントごとに簡潔な言葉で短くコメントしていった。

一つ一つのコメントをうんうんと頷きながら聞いていた彼は、最後に満面の笑みで「ありがとう、ナナ!!」と言った。マスクを通してもわかる笑顔ができる人ってすごいなと思いつつ、いやいやこっちがありがとうだよ笑、と思った。