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つなぐとはなつ

オペラで演奏することになった。友人の代役でベルン市民劇場(Stadttheater Bern)にて行われるロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」に2公演だけ出演する。

撥弦楽器であるギターを弾く私にとって、オーケストラはちょっぴり憧れの世界だ。よく「ギターは小さなオーケストラ」と言われる。でもヴァイオリンのように「ふくらんでいく長い音の響き」が出せる楽器が揃うほんとのオーケストラと比べたら、音の長さではかなわない。だから今回オーケストラの中に入って演奏したら、自分はその長い響きに感動するんだろうな、と思っていた。しかし今回実際に私が感動したのはオーケストラの「美しく伸びる音の響き」ではなく、むしろ彼らの「音の切りかた」だった。

初めて歌手とオーケストラのリハーサルで演奏した時、指揮者が曲の中で数か所、オーケストラの音をパッ!ととても短く切ることに驚いた。「なんで?」と思った。確かにそこは歌手が歌の途中で即興的なパッセージ(経過句)を歌う部分で、オーケストラの音が歌を覆ってしまわないよう、ギターのパート譜にも短い和音の後に休符が書かれている。でも正直なところ(そこまで短く切らなくてもいいんじゃないの・・・?)と思ってしまった。自分が演奏している際には不自然にすら感じて、なんとなく消化不良な気持ちのまま、自分が弾かない残りの曲を指揮者を見ながら聴いた。すると、おそろしく明快なことがわかった。 

オーケストラが音を止める部分は、短いけれどカデンツァ的で歌い手にとっては見せ場である。聴いていると再び同じような部分がきた。それまでずっと歌手に寄り添ってきたオーケストラがその音をある意味無情に、相手をつきはなすような「勢いを持って」切った。するとその瞬間、その場に唯一残った歌手の声がオーケストラの全エネルギーを受け止め、まるで解き放たれた一羽の鳥のように一気に空間を突き抜けたのだ。愕然とした。それは私が考えていた「歌を支えようとする」音の終え方より、相手の本当の魅力を際立たせるためには明らかに効果のある方法だった。「音が飛ぶ」ってこういうことなんだな、と思った。オーケストラの勢いを受けた歌手の声が突然生み出された無音の空間に真っ直ぐに響いた。同じ歌が、伴奏者の音の切り方次第でこんなに美しく感じられることに、脱帽した。

本来ギターを弾く自分は、勢いよく切る音のカッコ良さや、そのエネルギーが歌い手を支えることなどは当たり前のようにわかっているつもりだった。でも今回のオーケストラの強烈なそれを聴いて、なんというか、自分自身がぽこーんと放たれたような気分になった。

長い長いリハーサルが終わった帰り際、オーケストラのメンバーの一人が私を見てひと言、“Brava.“と言った。正直自分の演奏の何がBravaだったのかわからない。でも彼が呟くように言ってくれたこの言葉が嘘にならないよう、私は私の楽器で出来ることを、最大限やっていこうと思った。