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サイレントギター

来年、ヤマハのサイレントギターが20周年を迎えるそうだ(←ということを月刊誌『現代ギター』2022年1月号の告知で知った)。この楽器が発売された当時ヤマハミュージックメディアでアルバイトをしていた私は、開発担当のN木氏からボディのデザイン案を見せてもらったことがある。「どう思う?」と言われて渡された何種類ものデザインはとても斬新だったのだが、でも正直、ギターじゃないよな、というイメージを持った。そのことを伝えるとN木氏は「そうなんだよ!」と言われ、どんなに面白いデザインであっても弾き手が「ギターだ」と感じないデザインではダメなんだ、とおっしゃった。

私がデザイン画を見たのはその時だけで、その後何回どのような試行錯誤が行われたのかは知らない。しかし実際に発売されたサイレントギターを見たとき、私は「あ、ギターだ」と思った。骨組みのような輪郭は組み立て式で、弾き手から見えるサイド部分は色が濃く、そのラインは身体に絶妙にフィットする。具体的に何がどこにどうあるからギターだと感じたのか、自分でもよく分からないのだが、とにかくこれはギターだ、と思ったのを覚えている。

そもそもクラシックギターはヴァイオリンなどの楽器と比べたら音は小さい。だからわざわざサイレントである必要なんてあるのかな?と思ったりもしていたのだが、ある時サイレントギターの宣伝のためにタレントのヒロミ氏の深夜番組で演奏することになった。自分と同じくらいの年齢の女の子たちが何人かいて、そのうちの一人が深夜部屋で一人ギターを練習していたら隣の部屋の人に怒られた、という設定の映像が流れた。そうか、そういう需要もあるのかもしれない、と感じた。そしてなぜ自分がテレビの深夜番組で演奏する必要があったのかも理解できた気がした。

受け手にとって「ギター」とは何か、そこにはどういう需要があるのか。一つひとつの問いに答えを出してきたからこそ、20年も愛されることになったのだろう。

あれから20年経って私はいまスイスにいる。日本の生活が好きでガイコクなんか行ったら苦しくて息ができないわ、とか思っていた自分も(注:外国は宇宙ではない)それなりに暮らせるようになってきた。そして今月、私はひとつ新たなプロジェクトをベルンで立ち上げようとしている。まだ提案書の段階で、時間をかける必要があり、実際に行うのは2年後の夏になる予定だ。提案書を持って様々な方とお話していくなかで、ふと、このサイレントギターのことを思い出した。自分が本当にやりたいことは何か、それに対する需要はどこにあるのか、どのようなバランスであれば人々に本当に受け入れてもらえるのか。時間がかかっても一つひとつの問いに答えを出していかなければならない。それが黒い確固とした骨組みとなることを教えてくれたサイレントギター。20周年、おめでとうございます。