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流れるように動く

生徒のプライバシーについて考えた、と言えば聞こえは良いだろうが、発表会をライブストリームで行うことを音楽学校から提案された時、自分は反対だった。「ビデオで十分じゃない?」と思った。ライブ配信はいろんな意味でハードルが高すぎる気がした。プライバシーに関しては、リンクを渡された人以外は映像を観られないこと、宣伝などに使用しない事などを記した規約書を生徒全員の家庭に配り、承諾サインをもらうことで解決した。それでも通常315人入れるホール内に16歳以上が5人までしか入れないこと(生徒を前半と後半に分け入れ替えて対応)、そのため教師と録音を担当する上司以外は生徒を学校まで連れてくる保護者も会場に入れないことを聞かされた時、正直「これやる意味あるの?」と思った。生徒同士、その場に来ている親もホールで聴けないのなら、何も全員が同じ日に集まる必要はなく、それぞれができる時間にホールでビデオ録画したら良い。ビデオなら間違っても何回かトライすることができる。生徒にとっても保護者にとっても、そして教師である私自身のメンツにとっても、そのほうがメリットがある気がした。

色々悩んで、数少ない日本人同僚であるピアノ教師の石塚シュタイナー佳代さんにそのことについて相談した。すると彼女は「ライブストリーム、やって良かったよ。」と言った。すでに発表会をライブ配信で行なった彼女の感想は、ライブストリームにはビデオでは得られない臨場感があり、良い意味での緊張感が生徒に集中力を与えること、たとえ間違っても達成感があり、そして生徒自身が「自分の演奏がYouTubeで流れた」という体験を通して「Stolz(誇り)」を持つようになった、ということを教えてくれた。保護者の反応はどうだった?と尋ねると、「ねぇ考えてみて。自分の子供が一人で舞台に立って演奏しているのを自宅のコンピューターを通して観た時、自分だったらどう思う?」と聞かれた。自分の息子がまず学校までたどり着いて、大ホールの舞台に立ち、たった一人の力で演奏する。そしてそれをYouTubeの中継で観る。泣けるわ笑、と答えた。それがどんな演奏になったとしても親としては十分に褒めてやりたい。親が感じるのはそういうことなのかもしれない、と思った。

発表会は生徒のために行われる。自分では考えてもみなかったけれど、ライブストリームでは生徒にとって今までなかったメリットも付加されるらしい。もし本当にそうなら、自分のメンツとか言っている場合じゃない。やってみよう、と決めた。

それからは生徒とライブストリーム対策をしていった。「ここらへんにカメラが来るからね、前からはちょっと強いライトがくるよ」などと思いつくことを適当に言いながらイメージを準備していった。自分にとっても初めての体験、なんとなく楽しくなってきていた。

ところが発表会前日、学校から「ライブストリームのための機材が故障して直らない。明日の発表会はビデオ録画に切り替える」と連絡が来た。この形でやると思い込んでいたのでちょっと拍子抜けした。人生コロナじゃなくてもいろんなことが起こる。仕方ないので全員にメールでその旨を伝えた。全然やりたいと思っていなかったライブストリームが出来なくなると知った瞬間、やってみたかったと思う自分がいることに苦笑した。

さらに当日の朝、新たに学校からメールが来た。「ついに機械が直った!今日の発表会はライブストリームで決行する」という内容だった。力が抜けた。マジか!と思うとともに、あまりの脱力に余計な緊張も抜けた。速攻で再び保護者に連絡し、自分を落ち着かせるために考えていた挨拶文をもう一度読み直した。決めたんだからそのままビデオ録画にしてもよかったんじゃないのか!?と思う反面、前日決定の連絡をしてからもずっと修理をトライしてくれていたんだな、と思ったら胸が熱くなった。ちょうどこの日に別件で連絡していた日本の友人、詩画家の本間(ちひろ)ちゃんにそのことを伝えると、「ナナがダメでも、子どもたちはしっかりしているだろうから、平気だよ!」というメッセージをくれた。

実際その通りだった。当日生徒たちはそれぞれが堂々と弾ききった。子供ってやっぱりすごいな、と思うとともに、やってよかったな、と思った。

ライブストリーム(Livestream)の「stream」には、「小川」「(人、物、時の)流れ」という名詞の他に「流れるように動く」という意味があるそうだ。「流れるように動く」っていい言葉だな、と思った。今、世の中は今まで当たり前にしていたことができない状態になっている。でも自分は今ここで生きているのだから、しっかりと、流れるように動いていこう、と思った。