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炎のおやつ(Flamme Znüni)

月に1回だけ、スイスの小学校に行っている。午前中の休み時間に出される「おやつ」を作りに行く作業があって、月に一回行けば良く、用事があれば休んでOKという気楽さから長男が1年生の時から参加して今年で5年目になる。「おやつ(Znüni)」と言っても手の込んだものではなく、野菜や果物を切ったもの、チーズやハム、スライスしたパンやクリームチーズを挟んだクラッカーなどが出される。ベルン市のGesundheitsdienstという健康局のようなところがオーガナイズしていて、息子達の小学校では「炎校舎(Flammehus)」という建物の前で行われていたので「Flamme Znüni(炎のおやつ)」と言われている。

校舎の前に並べたテーブルに赤と白のチェックのテーブルクロスをかけて、プレートに盛った「おやつ」を並べていく。チャイムが鳴ると子供達が校舎から一斉に出てきてわあわあと集まり、好きなものをとって食べていく。その光景はたくさんのスズメが集まってきた時に似ていて、結構圧巻である。そしてある程度時間がたつとプレートは空になり、子供達もそれぞれ好き勝手に校庭へ遊びに散っていく。準備に1時間、20分くらいで片付くこの光景が、私はなんだか好きだ。

この学校には自分のギターの生徒たちもいる。スイス人の生徒が私を見つけて「こんにちは」と言う。その子の友達が「あの人だれ?」と聞くと、ちょこっと得意げに「Sie ist meine Gitarrenlehrerin!(彼女は私のギターの先生なの!)」と少し大きめの声で答える。アジア人の生徒が私のところに寄ってきて「先生今週は何の曲を練習したらいいの?」と大きな声で質問してくる。レッスンで言ったじゃん、と思いながらも伝えると、何だか満足そうに去っていく。そしてよくわからないけれど、彼女達のためにも何となくきちんとしておこうとか思ったりする。

面白いもので、毎回いろんな子が「おやつ」を手にする時、一瞬こちらを見て「とっていい?」と言葉でなく「目」で訊く。どう見ても100%ガイジンな私とのコミュニケーションを考えた結果そうなるのかもしれないが、その目がとても真剣なのでこちらも「いいよ!(ついでにニンジンもとってきな!)」と目で合図してみる。とても原始的だけれど、そういうのもコミュニケーション手段として十分通じるんだよな、と改めて思ったりする。

「これは何の肉でできているの?」と聞く子に「これは鶏肉でできたハムで、豚肉は入っていないから大丈夫だよ」と伝えると、ホッとしたような顔をした後、嬉しそうにパンにのせて持っていく。子供でもいろんな条件の中で生活していることに改めて気づかされる。

たくさんの子が遊んでいるのを眺めながら、みんなほんとにバラバラだよな、と思った。そしてふと、ああ、顔が見えるのはいいな、と思った。たくさんの集団の中で、お互いの顔がきちんと見えなくなっていくと、たぶん私は相手を「かたまり」で考えてしまう。誰かについて思うとき、頭の中に最初に出てくるのがその人個人の顔でなくその人の帰属する「何かのかたまり」である状況は、ときに人の思考を危険な方向に仕向ける可能性を持っている。先日Flammeznüniを行ったその日は、ウクライナが空爆を受けた日だった。自分はやっぱりこの作業にいける時には行っておいた方がいいと思う。それはつまるところ、子供達のためというより、自分のためでもある気がした。