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踊る (tanzen)

音楽学校のアンサンブルコンサートが6月野外で行われる。私のクラスはガスパール・サンス(Gaspar Sanz,1640-1710)のカナリオス(Canarios)を全員で弾くことにした。17世紀スペイン・バロックのギタリストによるこの作品は、もともとギター(正確にはバロックギター)1本で弾ける曲だが、中間の掛け合いはパートに分けた方がわかりやすいし、後半Dチューニングのラスゲアードを皆で弾いたら絶対カッコイイよな、と思った。ギターを始めたばかりの小さな生徒から数年弾いているティーンエイジャーまで、それぞれのレベルでできることを一斉にやる。今週ためしに「こんな曲なんだけど」と一人ひとりに弾いて聴かせると、小さい子も大きい子も目を大きく見開いて(←マスク付けてるからよけい強調されてみえる)「カッコイイ・・・!!」と言った。300年以上昔に書かれた作品が、色褪せることなく現代の子供たちにヒットする。なんだか自分もワクワクした。

一人でも弾けるものをなぜアンサンブルで弾くのか。へんな言い方になるかもしれないが、今回の目的はアンサンブルそれ自体ではない。クラシックギターの名曲をなんらかのかたちで知ることは、けっこう大事なことだと思う。その作品を一人では(まだ)弾けない子も皆と一緒に弾いたらその音楽がどんなにカッコイイかを体感できる。ちなみに一番新しい生徒は来週入学する6歳の男の子だが、彼を本当に参加させようと思うならこの作品の場合、ほぼ開放弦だけ(DAD、GD等)で一緒に「弾け」なくもない。そして、自分より少し年上の上手な子と弾くことは「自分も将来こんなふうに弾けるようになるかも」というパースペクティブ(見通し)につながる。ある意味この効果は大人と弾くよりも大きい気がする。弾ける子は自分が弾くことでまわりを助ける役になり、それはそれでたまには良い気がする。楽譜はそれぞれの子が何が弾きたくて、今のレベルで何ができるか、いくつかパターンを試してみてから作っていく。なんとなくオーダーメイドの仕立屋になった気持ちになるけれど、当日それぞれが自分の弾けるレベルで曲を味わえたらいいなと思う。

ちなみにカナリオスは踊りの曲だ。そのむかし私はバーゼル音楽院でErika Schneiter女史によるルネサンス・バロックダンスの授業を少しだけ受けたことがある。私が入学した時彼女はすでに定年間近の小柄なおばあちゃまでいらしたけれど、彼女は踊りだしたとたん「この人は妖精なんじゃないか」と思ってしまうくらい軽やかで美しく、チャーミングな踊り手に変身する人だった。そして彼女のクラスで踊りながら、ああここにある音楽はなんて活き活きしているんだろう、と思ったのを、今でもよく覚えている。レッスンでは実際に踊る以外に学生が自分のレパートリーを演奏し、他の学生達が(その演奏で)踊れるか試されたりもした。あるとき彼女がレッスンで「(バロックの)色々な演奏のCDがあるけれど、でも〈本当に踊れる演奏〉は少ないのよね」と言った。あくまでテンポなど技術的なことを指摘したものだったのだが、自分にとってこれは何というか、かなり衝撃的な発言だった。もちろん「踊れる」ことだけが音楽の要素ではないのだけれど、ダンサーはそういう見方、聴き方をしている、そしてそれを見分けられるのだ、ということが何故だか深く心に残った。

本当に心が踊りだしたくなる演奏には何が隠れているのか。これは、ずっと考えていかなければならない。