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黒いデカメロンの謎 (Black Decameron's Labyrinth)

ギターソロ曲に「黒いデカメロン(El Decamerón Negro)」という作品がある。キューバの作曲家レオ・ブローウェルが1981年に書いた作品で、子供の頃日本人である私はタイトルから黒くて大きな球体を連想してしまったが、実際にはこの曲はドイツの民俗学者レオ・フロベニウスが1910年、アフリカの様々な物語を収集して発表した本「Der schwarze Dekameron(黒いデカメロン)」からインスピレーションを受けて作られた作品であると言われている。 

各楽章物語性の強いタイトルがつけられており(I. 戦士のハープ、II.こだまの谷を逃げて行く恋人たち、III.恋する乙女のバラード)、その「物語の内容」もCDブックレットなど様々な媒体で解説されている(3つの楽章は1つの物語に基づいており、音楽家になりたくて追放された戦士が部族を去り山に籠っていたが、のちに部族の危機を知り彼らのために戦い勝利する云々)。

 それらを読んでいて、オリジナルはドイツ語なのだから一度その「物語」を実際に読んでみたい、と思った。ベルンで一番大きい本屋さんに問い合わせると、1910年に発表された原書がそのまま印刷されたファクシミリ版(Verlag der Wissenschaftenによる出版)を取り寄せてくれた。

 嬉しくてさっそくページを開いてみたとたん、「うげっ」となった。当たり前といえば当たり前なのだが、当時の印刷なので文字がすべて当時ドイツで使われていたフラクトゥールという旧い書体で書かれていた。私にとってこれは楔形文字(小文字のfとsとkがほとんど同じ棒に見える)と蛇がとぐろを巻いているよう(大文字のEとSとGが全部まるっこい)にしか見えない文字であり、一瞬怯んだ。でもまぁこの1話だけ読めればいいんだから、と気を取り直して目次を見て、さらに愕然とした。それらしい話のタイトルが見つからない。ということはつまり、ふってあるだけで387ページあるこの楔形と蛇によるドイツ語を私は全部読まなくちゃいけないのだ、ということに気がついた。ちょっと気が遠くなったが、そのままにしてもしょうがないので、仕方なく最初から読みはじめていった。

「黒いデカメロン」のはじまりは、レオ・フロベニウスが彼の時代よりさらに500年前に生きたボッカッチョ(14世紀イタリアで物語文学の傑作と言われる「デカメロン」を書いた作者)に宛てた「お手紙」から始まる。

「敬愛するボッカッチョ様!(Hochverehrter Boccaccio!)」という題ではじまるこの文章は、意外にもシンプルで読みやすく、実はこの人はユーモアがあって親しみやすい人なんじゃないだろうか、と思う語り口だった。自分のドイツ語レベルでも読めるかもしれないと感じ、もうちょっと読んでみようと決めた。

 紹介される物語はそれぞれ3つのカテゴリーに分けられていて、はじめに9つの英雄伝、第二章は様々な動物が登場する寓話、第三章では「ユニーク(個性的)な物語」が9話紹介される。各章ごとにフロベニウス自身による読者への解説があり、それが結構面白い。余談だが第三章の解説で彼は、民族をグループとしてしかみていない人にはその顔かたちが皆同じに見えてしまうが、ひとたび関われば彼らのそれぞれ異なる個性を知ることになる、と語り、その中で「日本人 (Japaner)」という言葉も使っていて、びっくりした。ちなみに彼の文章では吟遊詩人や英雄たちが奏でるアフリカの楽器(おそらくコラという楽器)はすべて「ギター(GuitarreまたはGitarre)」と呼ばれている。

 さて、1ヶ月以上かかってなんとか最後まで読み終えて私がわかったことは、この「黒いデカメロン」のオリジナルであるドイツ語の原書には、ギターの世界で伝えられている物語に当てはまる話は無い、ということだった。

無理やり関連づけようとすれば、戦いに行きたくなくて家から追放される「戦士」はいたが、彼は「家にいたかった」だけで、音楽家になりたかったわけではなかった(後に彼は勇者となり様々な戦いで勝利を得るが、最後はあっけなく奴隷の手で殺されてしまう)。蛇の生け贄になるはずだった恋人を助けて二人で馬に乗って追手から逃げる恋人たちはいたが、この話に「こだまの谷」は出てこない。これらは別の話であり、そして「1つの話」でもない。これはどういうことなのだろうか。

 もしかして「黒いデカメロン」には別のバージョンがあるのだろうか?そう思ってネットで調べて見ると、同じように「ギターの黒いデカメロン」に出てくる物語をフロベニウスの本から探そうとした人がスペイン語で論文を書いているのを見つけた。彼は完全に一致する話は探せなかったようだったが、この物語を探しているのは私だけじゃないんだ、とわかってなんだか安心した。さらに調べていくうちに日本語訳版(1973年発行)があることも知ったが、そこに収められている話はドイツ語版とはかなり違った趣で、寓話はすべてカットされ、原作には入っていなかった性的な話がはじめにたくさん紹介されていて、なんだかさらにギターの黒いデカメロンから遠ざかっていくような気がした。

 はじめになかった話がどうして入っているのだろう?と思っていると、訳者である大久保昭男氏があとがきでこう書いてくれていた。「なお、本書は、当初、編者フロベニウスによって書かれたドイツ語版(Das Schwarze Dekameron)からのイタリア語訳(Il Decamerone nero)の五十三編中から十八編を任意選択して邦訳したものである」

つまり、「黒いデカメロン」はドイツ語からイタリア語に訳されたときに、何か別の物語も一緒に入れて発行された、ということだろうか。

 さらにわからなくなって悩むうちに、もうこうなったら作曲家のブローウェル氏に直接聞いたほうが早いんじゃないか?と思った。知人がブローウェル氏の出版社Ediciones Espiral Eternaのサイトを教えてくれて、ここに質問すれば何か答えを教えてくれるかもしれないと思いサイトを開いてみると、そのトップページで今年2021年1月「黒いデカメロン」の拡大バージョンが作曲されたことが書かれていた。1981年から実に40年経った今年、新たにそれぞれの楽章に短いイントロがつけられたのだ。これはもう買うしかない。さっそく注文したあと、サイトのお問い合わせコーナーから尊敬するブローウェル氏にあて長いメッセージを送った。それは質問というよりほとんどファンレターのようなものになってしまったが、子供の頃から好きだった作曲家にメッセージを書くなど、思ってもみなかったことだし、お返事が来なくても構わない、と思った。実際まだお返事はもらっていない。でも、それでいいんじゃないかと思うようになってきた。新しい拡大バージョンの楽譜は、とても素敵だった。深く感動した。そして楽譜のはじめには、氏の奥様で音楽学者のIsabelle Hernández女史による作品の解説が書かれていた。この作品はレオ・フロベニウスの「黒いデカメロン」の中にある1つの物語からインスピレーションを受けて書かれたこと、そしてその物語の概要が書かれていた。それは、これまでも様々なCDブックレット等に書かれてきた内容であり、私がみつけられなかったお話だった。

とても長いまわり道をして、ふりだしに戻ったような気持ちになった。でも、これでいいのかもしれない。ブローウェル氏にメッセージしたとき、私は自分の頭の中で永遠に続いてしまいそうな螺旋を断ち切って欲しいと思っていた。でもそれは他人にしてもらうものではないのかもしれない。

そもそもフロベニウスが集めた物語は、彼自身が作ったものではなく、アフリカの様々な民族の人々が口承で伝えてきたものだ。この物語は原書のドイツ語にはなくとも、イタリア語やスペイン語に訳された「黒いデカメロン」のどこかに隠れて入っているのかもしれない。「こだまの谷」について、いつか何語であっても読んでみれたらいいな、と思う。黒いデカメロン、この迷宮は私のなかでまだ続く。