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Warum nicht? (=why not?)

音楽学校分校の廊下から、聞き覚えのある音が聴こえてきた。あぁあれはアランフェス協奏曲の出だしの部分だ、と思っていたら、その音がどんどん近づいてきて私の教室に入ってきた。

今年正式に音楽学校に採用されたギターの先生であるスイス人青年が楽しそうに、子供用の小さなギターでアランフェスの出だしを弾きながら歩いてやってきたのだった。彼は昨年私が「ゴッティ」という世話人のような役目を担当した青年だ(詳しくは2020年10月ブログ「ゴッティ」をご覧下さい)。

粋なことするね、と思い、私もその後に続く一連のパッセージを弾いて応えた。レッスンに来てその場にいた10歳の女の子が「わぁ!これってなんの曲?」と訊いてきた。「楽しい曲だよね、これはオーケストラと一緒に演奏する曲で、ギタリストはみんな弾きたいと思う曲なんだよ」と説明すると、彼女は目をきらきらさせて「私もいつか弾ける?」と言った。思わず「Warum nicht? (=why not?) なんでできないことがある?」と答えていた。まだ単旋律や小さなコードしか習っていない子だけれど、もし彼女がこの曲を本気で好きになったら出来ないことなど何もない、という気がした。そしてこの曲が弾ける基礎を私は彼女につけてあげるんだぞ、と思った。

「Warum nicht(ヴァルム・ニヒト)?」というのは不思議な言葉だ。それを言っただけでその先に見えてくるものがなんだか変わってくる。それは人に対してだけでなく、システムに対しても言えることだと思う。

今月息子二人が音楽学校の子供バンドに入った。練習日は金曜の昼で、初日、フシギな時間帯にやるなぁと思いながら子供達が集まる場所に行くと、担当のクラリネットの先生が子供たち一人ひとりにお昼ご飯を配っていた。ヨーロッパ最大のポップスの祭典ユーロヴィジョンでも演奏し、東欧系でちょっとマッチョでコワモテなタイプ(つまり私が苦手なタイプ)の彼がこどもたちにごはんをスプーンでよそっている姿は私にとってかなり衝撃的だった。彼は息子達に「おう、お前の名前は何だ?(←という翻訳になってしまう自分がいる)」ときき、「さぁむこうで手を洗ってからこっちへ来い!」と言い渡した。私は彼らに任せることにしてその場を去ったが、息子たちはすごく楽しかったらしい。後日彼に会って、ご飯はスイスの大手スーパーと契約し彼自身がケータリングのように運んで用意していることを知り「凄いね!」と言ったら彼は「オレは好きでやっている。」と言った。同じ音楽学校で働きながら、こんなシステムがあったなんて知らなかったけれど、Warum nicht? そういうシステムがあったっていいじゃないか(いや、すごくいいよね!?)と思った。そしてこのシステムを実際に動かしている彼の姿に感動した。

ちなみに音楽学校ではギター科にもいくつか便利なシステムはある。例えば音楽学校に通う子供たちのほとんどは子供用ギターを購入するのではなく、街の楽器店からレンタルしている。月毎に支払うのだが、メリットとしては成長していくなかでギターの大きさが合わなくなっていくとき「今使っているギターはもう小さくなったね。今度楽器屋さんでひとつ大きいサイズと交換してもらってきてね」と気楽に言うことができ、結果子供達はいつも自分にあった大きさのギターを使うことができる。そして最終的に大人サイズのギターを購入する際、それまで子供用ギターを借りていた子には楽器店からの割引があるらしい。この国でギターを気軽に習う子供が多いのは、こういったシステムが用意されていることも要因の一つにあったりするのかな、とも思ったりした。あくまで私の憶測に過ぎないが、いずれにせよこのシステムだって、きっとはじめからあったのではなく、昔どこかの誰かがアイデアを出したのだろう。そしてたぶんその「誰か」の周りにいた人達もWarum nicht?と思い、このアイデアを実際に機能するシステムとして実現させていったから、現在まで当たり前のように続いているのだろう。ささやかなことだが、それってすごいことだよな、と思う。

Warum nicht? どうやらこの言葉はとてもポジティブな力を秘めている。